忘れな草を忘れないために。 -6ページ目

再再手術 術後乳腺外来 2

術後の乳腺外来にて。
3年後、ノルバデックスをやめて妊娠という選択肢を提示され動揺。

というのも。。。
外科の先生に妊娠の話はしたことがない。

この専門病院には、化学療法のセカンドオピニオンから入った。
その時に

「治療が第一だから子供の話はいい」

と伝え、ホルモン療法は5年、とうかがっていた。
その後に生理が戻るようなら、生理を止める薬を打つ、とも。

そして、抗がん剤の投薬前の説明で。
私より年下であろう化学療法の女医さんから
「抗がん剤のあと、ホルモン療法5年やるから年齢的にも出産は無理ですよ。」
と念を押されていた。
(その語長やらが気に入らず、その女医さんに2度と会いたくないと思った。
そして曜日の関係か二度と会わずに済んでいる)

なので転院してから今まで
「子供」の話はないまま来ていて、それは当然の流れのはずだった。


とりあえず、うかがってみた。

「それは生理が戻ったら、てことですか」
→戻ると思いますよ。

「抗がん剤も普通にしたので、子供のことを考えていませんでした」
→抗がん剤をしたから奇形になる、という ことはありません。
 妊娠中でも時期をみて抗がん剤をする場 合もあります。
 ホルモン療法を3年以上続ける効果は  はっきりしていません。

「3年以上は効果がわからないんですか?」
→はい。


そうなの?
5年が標準だと思ってた。
むしろ10年でもいいのかとさえ思ってた。

それに、同じ病院で話が違う。。。

とはいえ。
私はお勉強しない患者なので、私が標準治療だと思っていたのは誤りかもしれない。

しかも私、何故か動揺しているし。
こういう時の私は態度が悪くなってしまう。(何時も良くはないけど)
「あの先生にはあー言われた」と言うのも気が引ける。

とりあえず、来月も診察あるし。
動揺の理由がわかってからでもいい。
それが先生に教えていただきたい内容ならその時にまとめてうかがおう。

次回は母だけではなく、彼にも来てもらおう。

そう考えて診察室を出た。

再再手術 術後乳腺外来 1

8/6
乳腺外科受診。
傷の確認をしていただく。

ドレーンの跡が塞がらずにいて不安だったのだけれど、
先生が気にしていない様子なので、気にしないことにした。

エキスパンダーという異物が入っている不安からちょっと質問。

「今、痛いとしたらどんな所ですか?」
→傷の痛みよりは筋肉の痛みです。
 で、何処が痛いですか?

「下側の方が痛いです」
→上側の方がゆとりがあるので。
(確かに下側は脹れているけれど上側はたるみあり。)

「この辺り、ほかと色が違うような、、」
→静脈が押されてる(つぶれてる?)からですが心配ありません。



その後、ノルバデックスの処方をしていただき、今後の予定を説明していただいた。
(9月手術結果
抗がん剤中に生理止まらなかったので9月と11月にリュープリン。
11月に骨シンチ、腹部エコー、マンモなどの検査)


「次回(9月)は取ったものの結果ですが特に問題ない、と思います。」
と、先生。

思います、て!
もうエキスパンダー入れちゃったよ!!
と、心の中で少し不安になる。

今回の結果が悪くて、実は放射線必要なくらい、てことはあるのだろうか。。。

聞けばよかったのにスルーして帰ってきてしまった。


そして、先生がもう1つ、おっしゃったこと。

子供について。

3年ノルバデックスした後、妊娠を考えることも出来ます、と。

正直、この流れに動揺した。








再再手術 退院日。

退院日に済ませたのが、形成外科で抜糸。

約1週間で退院は
「教科書どおり」
とのこと。順調な回復らしい。

抜糸していただいたのが、
メインの先生と一緒にいらっしゃる若い先生。

抜糸している間、穏やかに話かけていただいたので怖さなし。むしろ安心感。

抜糸のあとはエキスパンダーに水を注入。
磁石みたいなものでエキスパンダーの刺せる部分を探して、そこから注射で入れていくらしい。

もう十分な膨らみに見えるけれど、
2週間後にうかがうことで終了。

その後、病室に戻ったら母が迎えに来てくれていた。

同じお部屋の方にご挨拶したりして退院。

外は想像以上に暑くて。
病院の空調に有り難みをを感じた。






再再手術 麻酔

入院中、眠れなかった時。
医療系のお勉強をしている友人が、lineの相手をしてくれた。


今回は吐き気がなかったこと。
今回の麻酔が入っていく時、とにかく痛かったこと。
前はそんなことなかったこと。
前の前、転院前の時は今回と同じ様に痛かったこと。

などなど伝えたら


「血管痛だね。
麻酔、マイケルジャクソンが愛用していたものかもね」


睡眠薬として常用していて問題になったらしい。


「呼吸抑制があるから、ちゃんと管理しないといけないのさ。手術に使う薬なのに、多用しすぎたって、話題だったよ。」


そういえば当事、ニュースになっていたかも。
自分と無縁な世界だと聞き流していた。

あんな痛い薬を常用していたなんて!
やっぱりスターは違う!?
というより、ストレス量が違うのかも?

余程眠れなかったのか。
眠れても夢見が悪かったのか。


「ナチスでは自白作用があるから、かるうく効かせて自白に使ったらしい。
実習で、男子がマジでデートの内容を話してたよ」


その話も前に聞いたことがある様な。
そしてやっぱり無縁な世界、軽く聞いていた様な。


人の話が何時どんな形で自分に関係あるかわからない。


私の場合は手術だし、自白なんて関係ないけど。
意識が混濁してご迷惑かけていたら恥ずかしいなあ
と今更ちょっと心配にはなった。











再再手術 術後~退院まで

痛みはあっても基本元気。

ここぞとばかりに読書してみたり。
同じ患者さんとお話させていただいたり。

皆さん、いい方ばかりで良かった。

ケア帽子をかぶっていると
同じ状況の方は「どれくらい生えたか」が気になり、
術後に治療方法がわかる方は「抗がん剤でどんな状況になるのか」が気になっているのだと感じた。

なので聞かれたら帽子とって見せていた。

他の人より抗がん剤終了から間があった分、そこそこ満遍なく生え始めてはいる。
そういう意味では、どちらかというと安心してもらえる出来映え?かな、と。

しかしそこで意外な反応。

「帽子なくていいんじゃない?」
「似合う!」

さすがに無理です(汗)
でも、髪の毛ない生活の気軽さを知ってしまったことだし。
今後ショートヘアはアリかも!
と前向きにとらえることにした。

病院は綺麗だし。
食事も美味しいし。
看護師さんも皆さんいい方だし。

平日は母が毎日来てくれて。
週末の1日は友人が色々手土産持って来てくれて。
もう1日は彼が退院準備に荷物をあらかた持って帰ってくれて。


せっかくだし、色々不安になるのは退院してからにしよー、
と、環境に感謝しつつ。
割りきって入院生活を楽しんだ。


再再手術。術後の体調

痛みは、今までで1番。

とにかく仰向けに寝るのは無理だったので、最初はベッドの傾斜をきつめに。それから毎日少しずつ角度を広げていった。

だるさや熱っぽさがもっと出るかと思ったけれど、痛み止めをを欠かさず服用していたせいかあまり感じず。


意外と最後まで苦しかったのが咳。
ゲホンゲホンと勢いよく咳き込みたいのだけれど、痛くて無理。
ケホケホケホケホ、ひ弱な咳。
少しずつ良くなったけれど結構長引いた。
麻酔の先生から
「前回より管を奥まで入れているから暫く喉がイガイガするかも」
とうかがっていたので不安はなかった。

そして驚いたのは
ある日突然、術側のお腹がポコリと脹れたこと。
太った?と思ったら片側だけ。
焦って看護師さんに伝え、回診の時に先生に伝え。。

ただリンパ液が一時的に貯まっただけ。

看護師さんにが言うには、エキスパンダー入れた人で背中とか胸のすぐ下に貯まる人はいるらしい。
ちょっと変な場所に貯まった様子。

退院頃には無事、体内に吸収されていった。


再再手術 翌日。

明け方に痛み止めをの点滴をしていただいたので。
気持ち的にも起き上がる準備OK。

だったのだけど。

痛くて全然起き上がれず。
看護師さんに助けていただいた。

1度仰向けになったら最後、
ひっくり返された亀や虫みたいに自力で起き上がれないと悟った。

痛みのせいである。
腹筋がないせいもある。


欲出して健側もいじっていたら、大変なことになっていた。
再発も恐れての判断だったけれど、私の場合は間違っていなかった。


傷跡やら胸もその日に自分の目で見た。

写真やら映像で見たことがあり予想がついていたから動揺はなかった。

エキスパンダーが入っているから膨らみがちゃんとある。
ただ、胸がのっぺらぼうになった、という印象だった。

先生に、エキスパンダーで腕を動かすのに制限があるかをうかがったら

ありませんけど、痛くて動かせませんよね

とあっさり。
悔しいけれどその通りでした。


手術後安静時、ふと。

術後、病室に戻ってから。

うつらうつら、しながら。

父は最後、ずっとこれより辛い状況だったんだ、と思ったりしていた。

そしてふと、強く思った。

私は
父の3回忌、7回忌 13回忌 位まではちゃんとやりたい。

母と彼と一緒に、お経をあげてもらうだでいい。
ただ、母も彼も私も元気な状態で。
お寺からの帰り道に、美味しいお茶でも楽しめる位に。

その頃には3人ともいい年齢だわ。
どんななんだろう?
ちょっと面白くなって、気が紛れた。



再再手術 当日2。

手が染みる~!!!

という記憶を最後に眠りについた、再再手術。

声をかけられ目を覚ましたら、もちろん手術終了。

痰を出させてもらい。

麻酔の先生から
◆前回より喉の奥の方に麻酔の管を入れられているので、暫く喉に不快感が残る。
◆吐き気は大丈夫か?
などのお話があった。

そのまま、寝たきりで病室へ移動。

何だかぐったり。
ずっとうつら、うつら。

たまに、「暑いー」
しばらくして、「寒いー」
「痰、出るー」


と気ままに発して、毎度のことながら母か彼が対応。
看護師さんがおっしゃるには。
この、暑い寒い、が交互に来る人が多いそう。

「よく、ご家族の方が帰ってから遠慮されるんですけど。暑かったり寒かったりしたら、ナースコール押す様に言って下さいね」

と母に話してくれたそう。


その間に看護師さんが脈や血圧や体温を見に来て下さった。

痛み止めを使いますか?
と言っていただくも、何となく大丈夫そう。

数時間して。
少し体を動かしてよくなったらしく。
看護師さんに促されて試してみる。

痛い。。。

ここで初めて、痛くてグッタリだったのだと確信。
痛み止めを依頼。


夕方頃、麻酔科の先生がいらっしゃった。
吐き気を心配していただいた様子。

◆強い痛み止めは吐き気を起こしやすいので、今回は痛み止め(点滴のことだと思う)の効きはそこそこ。
◆乳腺の先生が部分的な痛み止め(注射?て印象)を打ってくれているから、痛みも大丈夫なはず。
◆こうやって、言ってもらえれば対処は出来るから。

そんなに真剣に受け止めて頂いていたんだ。我が儘言いまして。。


7時位に彼と母が帰り。

看護師さんにベットの角度あげていただいて。
お水やナースコールを近くに置いていただいて。
朝まで、うつらうつら。


夜の何処かで乳腺の先生が二人でいらして、
「痛いですよね」
と言いながら傷を見ていかれた。



明け方になって。

この痛さじゃ、朝、起き上がって動けないかも、と不安になり痛み止めの点滴をしていただいた。





再再手術 当日1。

朝一番の手術だった。

熟睡は出来なかった。
けれど、一睡も出来なくて憔悴しているわけじゃない。
どうせ麻酔で眠らされちゃうし。
翌朝まで寝たきりだし。
まあいっか、と納得。


朝、乳腺の先生の回診。

血液検査の結果を聞いてみたら
先生は確認していないけれど、麻酔科の先生には伝わっている、とのこと。
「マーカーもそんな短期間じゃ上がりませんから」
と。
いや、それが聞きたいことでは。。。
と、思っていたら付き添いの先生が
「白血球はずっと横ばいです。でも手術は出来ます」
とおっしゃった。

もう、戻らないのか?私の白血球。
この先、大丈夫なのかしら?

とグチグチ考えても手術はもうすぐ。

その後、手術時間間際。
切り口に印をつけるため、
形成と乳腺の先生から別室に呼ばれた。

乳腺の先生の「ここは切除したい」という面を除けば
形成の先生が、どうしたいか、が重要な印象をうけた。

別室を去り際、形成の先生が
「大きな手術になりますが、ちゃんとやりますから頑張りましょう」
みたいな内容(正確に覚えてない)をおっしゃった。

そういう言葉に患者は素直にホッとする。

その後、看護師さん、母、彼と手術室まで歩いて移動。

手術室入口前に、大勢の付き添いの方がいて驚く。
そのせいか、慣れたせいか。
前の様に泣きたくもならずに、「ほんじゃ!」て感じであっさり手術室へ。

まず、名前等の確認。

その間に手術室の看護師さんのひとりが、
気をまぎらわすために、色々と話しかけてくださった。

そして手術室へ。

乳腺の先生お二人と、麻酔の先生がいらっしゃった。

看護師さんの案内?で手術台へ。
背もたれがあって、そこに背中をピッタリつけてから、上半身を倒す

のだけど、頭出ちゃう。

理由→座高が高いから。

小柄なくせに相当、高いのですよ。。。
けっこう恥ずかしい事実なのですよ。。。

看護師さんの努力により?どうにか頭も収まり。

麻酔の先生がペチペチ叩いたり温めたりしていた手の甲の点滴ルートも確保。

この期に及んで先生に「痛いですか?」
と不安を口にして、「痛み止め使うから」と言っていただいて安心を得る。

酸素マスクから酸素が送られる。

「染みるからね」
と麻酔の先生の言葉で点滴の麻酔開始。

とにかく手の甲全体が染みてくるる、というか、痛いというか!!

あー、これ。最初の手術の時と同じ薬だ!

握ってくれていた看護師さんの手を
力一杯、握りしめながら。。。撃沈。


あの看護師さんに謝罪とお礼を言いたい。