水戸の花嫁と余興あれこれ。 | 忘れな草を忘れないために。

水戸の花嫁と余興あれこれ。

抗がん剤中の目標のひとつになっていた
、友人の披露宴。


しかしながら。
まさか2か月前に連弾余興を依頼されるなんて。。。

ベテラン連弾相手Aに、
前奏、ペダルを任せ。
弾き方まで教わり。

どうにか当日になった。


Aの披露宴の時、
泣きじゃくりスピーチにならなかったので。
もし泣きそうならAが私の分も代わりに読んでくれると約束してくれた。


直前、緊張して冷えきった手を、
Aと別の友人に温めてもらった。


たかが披露宴。
されど披露宴。


どうにか笑顔で乗り切ったものの。
演奏も、やっぱり粗い。

あとで動画を見た彼には
「走ってるね。」
と指摘された。
テンポが明らかにイマイチだった。

でもまあ。致命的な間違えもしなかったので、勘弁して欲しいレベルだと思いたい。




弾いたのは
Aiさんのstory


『限られた時の中でどれだけのことができるのだろう』

『ひとりじゃないから』

『孤独じゃ重い扉もともに立ち上がればまた動き始める』


この歌詞が自分にも重なったりもして。





友人から依頼がきた時、
やりたい、気持ちはあれど自信はなく。

まだ見ぬ副作用に怯えもあり。
(実際体は変化してる感じもあった)

ウジウジしてもいた。


それを助けてくれたのが
Aと彼と母だと思う。


Aは弾き方を教わったのはもちろん、
絶対、ネガティブなことも不平も言わず、私のペースで付き合ってくれた。



母は騒音のような練習を黙って聞いていてくれたし。
私が集中できるよう、サポートしてくれた。


彼は「余興は断るものじゃないから」
と、
候補曲選びを付き合ってくれたり。
何時ものことながら
これにまつわる、とめどない私のおしゃべりに付き合ってくれた。


何かをやろうとすると
私はゆとりがないから周りに必要以上に迷惑をかけてしまう。


でも何もしないままだと
自分以外の人間が、「できた人」だと感じることさえしないで過ごしてしまう。


人と関わると自己嫌悪になるから疲れるけれど
その辺りのバランスを上手くとって生活出来たらいいのかもしれない。


なんて思った余興騒動?だった。