誰もが、来し方を振り返る時って来るかと思います。

いや、べつにノスタルジーはありませんほろほろ。長いです。




1.関係無い、前置き


レモンはもちろん、ミカンやトマトでさえ、酸っぱいから避けている。

酢酸使った酢の物は、親の仇だぐらいに思ってる。食べろと言われると、本気で怒る。

けど、なぜか体が求めることがある。

ほら、梅雨時だもの。

で、かのじょに分けてもらってヨーグルトを食した。

なぜこの世に酸っぱいものが存在するのか、なぜ女子は食べたがるのか。。

ぜんぜん、分からない。



スプーンですこし取ってヨーグルトを口に入れてみる。

感知した酸味を気にしないことにする。

のどをスルリ通って身体の中にヨーグルトが落ちていく。スルスルスル。。

なんだか、のどから下が元気になって行く気がする。確信はない。

願いなんだろうか、祈りなのか、分からない。

たぶん、体が求めている。




2.サラリーマン味のこと



「あっ、今日で1年ね」とかのじょが言った。

退職を機に、関西に引っ越して来て1年経ちました。

あっという間、でも無かった。


引き取ったお義母さんは3度入退院を繰り返したし、わたしも、大腸がん、前立腺がんの疑いが出た。

年を取るってどういうことなのか、段々分かって来た。かなり、やばい。

停年したら、お暇でしょ?っていう世界ではなく、気が緩んであちこち劣化してゆく。

膝も痛いし、歯もやばい、頭もおバカになる。

そんなじぶんにヨロヨロついて行くのが忙しくなる。

きっとメンタルの在り方も老化を左右している。わたしの好奇心、大丈夫かっ。


セカンドライフに突入しても、相変わらず、生きるって何だと世界は突き付けて来ます。

お前っ、ほんとは誰なんだ?って。

いえ、わたしは、別に何物でもございませんほろほろ。。

そこは、掘っても分からないから、のどをスルリ通って腹に落とす。

でも、これは落としても、元気になりそうにない。



混みあった電車にさよならし、嫌な上司と訳の分からない同僚ともさよならした。

給料をタテに取られた滅私奉公なんて、もうしなくていい。

競うこともない。誰にも気兼ねなく生きれる。

どこかウソ臭かったサラリーマンごっこをもうしなくていいのです。

が、何十年も身に付いたル-ティンを失ってじぶんは大丈夫なのか、とは実は疑っていた。



意外なことに、じぶんは働かないことが苦にならなかった。

わたしは、硬く真面目な男だったはずなのに。

やっぱり、サラリーマン味は大嫌いなのです。

いや、そういう話でもないような気もする。

わたしは、何にも知らない土地、誰もわたしを知らない土地へ行きたかったのかとも思う。

既定路線というすべてをリセットし、いったいじぶんがどうするのかが見たかった。




3.関西の景色


世の中、だいたい知った気でいたけど、新鮮だった。関東とはぜんぜん違うのです。

ここでは、人たちは緩やかなイントネーションで話す。辛口も言うけど。

女子たちの口に躊躇はない。見栄を張らず、ずばり表現する。

歯医者も内科医も皮膚科も、先生たちは率直だ。

関西は、ユーモアと実利の土地だった。笑いながら、人はしっかり生きたいのだと思う。



道でイライラした運転をほとんど見かけない。(もちろん、たまにはいる)

スーパーのレジは遅い。(おばちゃんたち、急ぐけれどオタオタして要領が悪い)

通勤時の電車へ形相変えて駆け込む者もいない。

どんなに混んでも、車内は東京の7割程度の込み具合でしかない。

道でも電車でもギスギスした雰囲気を受けない。(バカヤローという声を外で聞かない)

わたしだけ、東のぎらぎらをまだ引きづってるようで、なんだか申し訳ない気もする。



予想通り、ここではそば屋が見当たらない。(なくもないけど、美味しくない)

ああ、あの甘いダシの駅そばが、無性に食べたいっ。

意外なことに、全般に料理はおいしいけれど、一緒に出て来るご飯自体はどこで食べてもうまくない。

貧しい土地では、せめてとご飯だけは良いものを食べると離島で聞いたことがあった。

漁師は質素なものしか食べないが、お米は良いものを食べるんだよと。

料理はうまいけど、関西人のお米に対する感度は低い。ううーん。。



関西と一口にいっても、兵庫、大阪、京都、和歌山、奈良と、それぞれに違うのに驚いた。

東京と横浜に労働力を送り込む、神奈川、千葉、埼玉といった衛星県とは違う。

ここでは、それぞれに色がある。それぞれの生活がある。

ただし、どこでもおばちゃんはしっかりしていて、おじちゃんの影は薄い。

大阪と神戸の間に住んだのだけれど、気候はすごく温暖だ。

内海に接し、六甲が囲む。

むやみに寒くならず、ここは、また、関西にしては暑くない。

埋め立て地は、海に近接し、海が水蒸気を上空に上げる。

水蒸気に成る際、周囲から気化熱を大量に奪う。

なので、この埋立地の気温は、六甲側より、3度低いとタクシーの運ちゃんが教えてくれた。

スーパーもお安く、かのじょはすこぶるお気に召した。




4.新しい道、変わらぬ問題



人間関係が断裂するという経験は、18歳で大学に入った時、24歳で就職した時にもあった。

誰も知らない土地に移ったので頼れない。そして、誰もわたしを知らないからちょっかいも出されない。

過去のしがらみが捨てられ、新しい環境に向かって行くのは若さのシンボルかもしれない。

冒険といっていいと思う。

意外なことに、わたしは年取ってする断裂に不安は無かった。



わたしは、もう一度何かをチャレンジがしたかったんだろう。

いや、かのじょを守るというミッションをじぶんに張っていた。

関西の地は、半年かけてあちこち探した結果だった。

あなたが、わたし亡き後も、安心して暮らせる所を探したのです。

女子は夫亡き後、20年も生きるでしょう。

本質的な問題は、老化と金欠ではない。

女子がひとりで長くサバイバルしないといけないということ。孤独、ということ。

かのじょが一人となっても、なるべく、孤立化しない街と住まいを探したのです。



同年代のペアならば、腰が痛い、目が見えなくなった、またボケたということを笑い合えます。

なんでこんなにポンコツになるんだと言えば、確かにそうだよねって返事が来る。

実際、わたしたちは始終、劣化を笑ってる。笑うしかない。

お金困ったねと言えば、そうだねとなって、じゃ、3袋78円のうどんにしようかとなる。

無ければ無いなりに、衣食住する。

ふたりなら、惨めな想いはないのです。

もちろん、完全に痴呆になったら、話も無いのだけれど、そこに行くまでは笑いあえるでしょう。



関西移住とともに、優しい彼女が母親を引き取り面倒を見始めたのでした。

実の娘なのです。が、母と娘は笑い合えない。

お互いの重なる共感部分に限界があるのです。

母と娘は、20年以上も体と脳の劣化具合が違うのです。

分かり合えるということは、あなたに居場所があるということでしょう。

「なんで早よう、逝ったんじゃ」と死んだ夫の写真につぶやくお義母さん。

お義母さんには、ぐちれる相手がいない。ここに居場所が無いのです。



今回の冒険は、わたしひとりではなかった。

なので、どこかでわたしは安心していたんだと思う。

そうだ、あなただけはずっとわたしを知っているし、いつもそばにいてくれた。

独身男性の寿命が異常に短い理由を、さいきんは実感できる。

ありがたい。

ただ、あなたがなぜ酸っぱいものが大好きかはナゾのままだけれど。




5.サラリーマンは体に悪いのか


横浜近くで、家を購入し、子育てをしました。

子を持ち育てるというシーズンが終わり、おおよそ30年をかけたモノたちにさよならした。

ばたばたと退職手続きを取り、家を断捨離し、最低限の荷物を作り、子どもたちと別れの儀式をした。

同僚とも、近所付き合いとも、ヨガの先生ともお別れした。

関西に持って行きたのは、ちょっとした服と下着、本30冊だけだった。

わたしはたったこれだけでいい身であることに驚いた。



嫌だ嫌だと言いながら働いて来たサラリーマン・ライフからの無罪放免。

どんなにせいせいするかとおもいきや、せいせいはしなかった。

というか、じぶんが思ってた程、仕事や会社のことを気にして無かった。

そのせいにしていたけど、ほんとにじぶんが気にしていた点は別だった。

新たな道が始まるということでしかなかったし、関西の整地に忙しかった1年でした。



高校を出るということが全ての起点だったと思う。

大学を出れば当然就職し、自分で食べて行く。ひとりでは寂しいからお嫁さんをもらう。

と、子どもが出来る。幼稚園だ、小学校だ、クラブだとなる。

就職すれば、いわゆる係長、課長みたいなサラリーマン双六が始まる。

わたしは、日々必死だった。なにしろ、生活費は必要で、生まれた子どもたちはどんどん大きく成って行く。

いっけん、当たり前なこの双六は、たいへんだった。

みんなやってるし、出来ているんだろうというのは、かなり幻想でしょう。

実際、みんなも死ぬほど嫌いだと思う。



高校卒業と同時に始まった人生ゲームが終わった。

じんせい双六で”アガリ”が見えた時、また、何かの起点が欲しくなったんだと思う。

今度は、じぶんが納得した形で生きたくなったんだろう。

会社に行こうが無職だろうが、実は、お仕着せられたレールに抗ってきたのだと思う。

働くという強制が嫌だった。

働くことを創造的にやりぬく力が無かったとも言えます。

自由という意味がよく分からなかったのです。




6.願うこと


引き取ったお義母さんは、急にふるさとに帰ることになりました。

面倒見てくれる施設が決まったのです。

骨を拾う覚悟だったのに、今度の日曜には福岡に帰る。

92歳の面倒を見るというのは、それはそれはたいへんでした。

でも、お義母さんがいなくなるので、お義母さんの面倒を見るというお役が消えてしまう。

わたしは、街に住む外国人のための日本語教師(ボランティア)になろうとしている。

かのじょも、なにか社会と繋がる活動を見つけようとしている。



子ども、仕事、お付き合いをフルリセットして、新しい軌道を歩き始めた1年。

意外なことに、仕事や健康や境遇や家族とのことは問題ではないのです。

わたしたちはそれを苦に思うけど、それがこころの障害ではない。

一番は、自分が何を願っているかを曖昧なまま先送りすることかもしれない。



会社や妻や子のせいにしたり、自分の能力や社会のせいにするんだけれども、そこでもない。

他者のせいにしている内は、じぶんを知ろうとはしない。

じぶんが分からない者は、とんちんかんを繰り返す。

そして、いつか停年が来た時に、ひとは途方に暮れる。かもしれない。

環境に依存しない、こう在りたいという型を持たないから。



働くことは酸っぱいものと同じぐらいに嫌だけれど、

やっぱり、体や心を維持するうえでは必須なものだと思う。

なぜ、嫌いなのかという問いをじぶんにすることから新しい起点が始まるのかもしれない。

創造的に生きるには、嫌って避けてばかりでは見えてこないことがある。

いや、いくらレモンかじっても、何にも変わらない気もする。

前置きが悪すぎた。へへ。