脱サラして塩ラーメン屋やってきた人がいってました。
コロナ禍以降、とにかく仕入するモノの値段が上がったそうです。
たとえばラード。
質のいいものを使ってるけど、一斗缶で5000円ほどだったのが今では1万8000円。
コストが上がり、他店との競争も激しい。
スープ作りも時間がかかる。仕込みは大変な重労働だそうです。
で、なんで続いてきたのかというと、
長年、守ってきたことがある。「自分が食べて美味しいと思うこと」だと。
意外なことにマズイ料理を出す店ってあって、店主が味覚オンチなんですかね。
マズイと二度と来ないのだから、店主はうまく作るはずなんです。
でも、平気でマズイものを出す。
味オンチというよりも、きっと、気にして無い。
上手かろうがまずかろうが、料理ってこういうもんだって決めつけてると思う。
このコストで作るなら、この程度の味だと。
たぶん、自分で食べても感動しないでしょう。
エゴが邪魔して家族や従業員の声も聞いてない。と思う。
で、やっぱりそういう店は数年もしなうちに潰れて行く。
お客さん相手の商売はたいへんです。
味覚の好みは個人差ありますから、せめて自分だけは「うまいっ」と思ってないと気持ちが保てない。
文章も、お客さんの評価に依存してはだめなんだなって思う。
良い悪いというよりも、それでは辛すぎる。
もちろん、人気ある時、親しくしてくれる人がいる時、それはけっこう嬉しい。
でも、景気のような波があるわけです。
わたしにも、うまくアイデアが湧かないとか、あまり書く気がしないとかあります。
そうすると来店客がさささーって減って行く。あれ?
お客さんに依存してると、不人気の時、とても耐えれない。
せめて、書いてる本人が「うまいなぁ~」って思ってないと。
ふだん、文章は書いてしまえば、読み返すってしないです。
でも、ときどき、もう一度読みたいなって思い出して読むことがある。
たわいもない話なんですよ。
かのじょとただただ散歩してる話とか。
いい文章かどうかというより、こころが情緒をほろほろ求めて読むんです。
で、さいきん、じぶんで書いてじぶんが楽しかったのがある。
13年書いて来て、そういう経験はほんとに無いです。
タヌキと月旅行に行った話です。
10回ほど、じぶんで読みました。
書いた本人が言うのはかなりヘンなのですが、朗らかに面白かった。
もう一度、書けといわれても、あの時はスラスラと筆のままに書いたので、ちょっと自信ない。
じぶんで書いて、ああ、面白いって思った。
自分が食べて美味しいと思った。
これって、最強だなって思ったんです。
誰が何と言おうと、書いた本人が楽しい、嬉しいんですからね。
誰も見てくれないのは、とっても寂しいけれど、それでも最後の一人はいるわけです。
わたし自身という最後の応援団がいる。
顔どころか、今朝何食べたか、風邪がようやく治って来たのかもよく知ってる。
その人が、読みたいっていうんですから、すごいことです。
じつは、わたし、さいきん心配なことがあるんですね。
ここ数日、わたしの記事を片っ端から読んでくれている方がいる。
たぶん、付き合いの長いあなただと思う。
それはそれは古いのだから、あなたが初めて読むという記事はほとんどない、と思う。
たま~に、お付き合い初期にガサッとまとめて、わたしが書いた過去記事を読んでみる、という人はいる。
ところが、あなたは違ったのです。
ずーっとフォロいただいているのに、時々、とんでもなく大量に過去記事を掘り返される。
50個とか、70個とか、ずーっと。
もう、書いたわたしでさえ、タイトルみただけではぜんぜん内容が思い出せない記事を絨毯爆撃しひっくり返す。
それはもう、清々しいほどに読み返されるものだから、わたしとしては書き手冥利に尽きる。
が、果たして、数時間、あるいはぶっ続けで1日中読むなんて苦行はあまり、体によくないでしょう。
で、わたしは、心配になるのです。
ああ、あなたはこころ痛めているのかなって。
いえ、もちろん、これがわたしの妄想なら良いんですよ。
記事をいったんUpしたら、もうわたしの手を離れたのです。
煮て焼いて好きになさってぜんぜん構わない。
でもね、わたしはとても冷静に考えるんです。
果たして、こんなシロウト文章がそんなに愛読されるはずもないのです。
毎回、似たような、くどく説教っぽいのしか書かない男ですからね。
で、特別に文才もないし、とりたててナイスな内容でもなかろうし。
ねぇ、かなりあなたが誤解しているんじゃないかって、思うんです。
じぶんに自信が無いというのもあるんだけど、
今まで誰も褒めてはくれなかったという実績を鑑みれば、極めて有り得ない事象が起こってるわけです。
でね、私、思うんです。
あなたが、ひどく辛いんじゃないかって。
寂しさや孤独が押し寄せて来て、どうにか跳ね返したい。
で、ずっとなにも変わらないわたしの文章読んで、意識を変えたいんじゃないかって。
6月ですからね。
ほら、春はいきなり気温が上がるでしょ。
そうすると、肩甲骨の間は、ついこの間の寒さを覚えていて狭いままなんです。広げない。
そこが十分広がらないのに、活動量が急上昇すると、なんちゃらホルモンたちが暴れるんだそうです。
で、これがほんとだとすると、
あなたが家庭や仕事のストレスがかかり、かつ、ホルモン不調に悩まされてるんじゃないかって。
いや、きっとそうなのです。
そうすると、健気なあなたが助けてぇーというウォーニングを上げているということになる。
で、わたしは、ほとんどあなたを元気づけれないし、あまりそういうのがうまくない。
でも、これはやばいっていう、男のカンみたいなのがわたしを突き上げて来る。
で、せめてと、今日は書いてるわけです。
どうですかね。
はずしてますかね。
はずしてたのなら、良いのですが。
合ってます?
合ってるって喜べないけど。
いや、誰だって辛さは抱えてる。人に話せなかったりする。
だから、いつも、ぽつんとしてる。
わたしは、きっと、お気楽に見えるでしょうね。
誠実なかのじょもいてくれるし、息子たちは健全に働いています。
で、暇にまかせてこうして書いている。
でもでも、そういうことと、孤独であるということはぜんぜん併存しています。
わたしも、よく途方に暮れているのは、
じぶんの下にいつも、孤独と死と虚無みたいなのがいるって知っているからです。
だって、あと50年後はぜったい死んでるんです。居ない。
大袈裟に聞こえたらごめんなさいね。
で、わたしはずーっとあなたに向けて書くと言った。
ときどき、住所を勝手に変えていますけど、ずーっとあなたが読んでくださることを知っている。
わたしにはふたりの応援団がずっと居てくれる。
なんて、素敵なんでしょう。
もうすこししたら、肩甲骨も諦めてすこしは広がります。
ほら、梅雨が来る。
あなたが好む雨に濡れる道や花壇や街や鉄橋の季節が来ます。
ほら、元気が出てきますって。