愛は地球を救えないかもしれない。

真面目で正直なのは損するだけかもしれない。かもしれない。

が、24時間すべきことはある。

道徳的なはなしになっちゃったら、ごめんなさいほろほろ。




1.ザ・社長


たまたま目に入ってきたのです。

 「すべての人を自分より偉いと思って仕事をすれば必ずうまくいく」


それは、松下幸之助だった。

道徳的なイメージの人って、権威掛かっていて嫌いですよろよろ。

いや、これは、自ら実行した者にしか言えない言葉だった。


社長はん、わてらにそうして来たんでっか・・

社員たちは、びっくりしたでしょう。

そんなこと実行する社長を、どこにも見たこと無かったんだもの。

いや、誇らしかったかも。

彼の期待に応えたい、がんばろって思ったかもしれない。


わたしの過去が浮かびました。

役員室へ、”ご相談”に行ったのです。彼は5万人の頂点付近にいた。

天上びとでした。わたし、全身で相手の言う言葉を聞きました。

でも、彼はわたしに敬意を払わなかった。わたしは1つのコマでした。

彼は競って上がった者だった。さらに常務となり専務となって行きました。

けど、わたしに彼は肩書の人でしかなかった。

しばらくしたら彼は退職となり、その席にはまた似たような別な人が座った。

会社は、時代に遅れ沈んで行きました。



男たちは、言うんです。

今度は、こういう組織がいるとか、新しい政策が必要だとかとか。

幸之助さまのように、先ず自分自身を変革するなんて、そんな気の遠くなるような内的努力はしない。

でも、唯一、改変できるのは、世界ではなく”自分自身”だけでしょう。

あなたの見ているこの世界は、あなたから出来ているんだから。

だったら、あなたという個人が変容しなければこの世界は絶対、変わらない。

でも、既定路線に乗った男たちには、この話は理解できないのです。外ばかり掘る。



もちろん、あなたが変わっても世界は変わらないかもしれない。

いや、それは変わってから、そこで見晴らして確認すればいいこと。

きっと、幸之助さまは小さな1商店のままだったとしても、その内的な誠実さを辞めなかったでしょう。

彼の見ている世界は、彼が責任を負うべき世界だった。

わたしは、幸之助さまの言葉を単なる道徳として片付けれなかったのです。

「必ずうまくいく」。

自らを変容して行くパワーを彼に見ました。




2.こころ明るい人


妻や子を「自分より上の人だ」と接する男を、ほとんど見たことないです。

でも、幸之助さまはこれを実践したでしょう。

それほど、幸之助さまは見ている世界に対して真剣だったということです。

誰が自分より上か下かなんてどうでもいいのです。

たぶん、幸之助さまにはそうせざるを得ない熱が、愛があったでしょう。



わたしたちは、すべての人を敬い、信じることが大切だと松下幸之助は述べていました。

他者を敬い信じるって、自己防衛せずに、世界にこころ開く人です。

それは明るいこころの人なんです。

なぜ、そんなことが出来たんだろう?

彼は神仏を畏れたかもしれない。

伊勢神宮に行くと、入り口近くに彼が寄贈した建物がありましたから。

自分を特別視しないとは、自分を上回るスーパーな存在を確信している者でしょう。

彼は、きっと儚いわが身を知っていた。



そうして、幸之助さまは身近な距離から自分を試して行ったでしょう。

どんどん、自己を変容していった。

一切の万物からメッセージを拾い、学び続けた。と思う。

そんな破格なひとは、でも、今も居るんですね。

わたし、見つけた。同時代を生きていた。




3.23歳の底力



以前も触れましたが、カズマさんにハマってる。


高校出るぐらいまで、彼は英語をまもとに話せなかったそうです。

そこから、開眼する。

英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、トルコ語、インドネシア語、ロシア語、アラビア語、中国語、、と制覇してゆく。

会話だけじゃなくて、読み書きもします。

今日時点で13か国語まできていると思います。

ネットで見知らぬ相手と会話した映像をこんなふうに、公開しています。

https://www.youtube.com/watch?v=XBYAlCgdTvE&list=RDCMUCQlOfsmvWrWDHdopzmoxi2A&index=19

世界中からのチャネル登録者は、90万人ほど。


彼は、わたしは言語を愛しています、そして人たちをこころから知りたい、と言う。

23歳が、ちょっと恥ずかしそうにそう言う。

ちらと見て欲しいのですが、真っすぐ相手を見ます。リキミはないです。

彼が世界を変えたいと思ってるかは分かりません。

でも、彼は、自分を変えていった。その結果が90万人でしょう。


どんな国の人に対しても尊敬の念を持ちます。偏見も差別もない。

相手が、日本ともめやすい韓国や中国のひとでも。ウクライナいじめてるロシア人でも。

経済が遅れているであろう、国々の人とも。


わたしには出来ない。ウクライナいじめるロシア人とは話したくないし。

でも、彼らの会話を見ると、「個人」はその「国」とはまったく別物なんですね。

画面の向こうにいるのは、いつも、自分と同じ”人間”です。

彼には、謙虚さとともに知ることに対する純粋さ、”愛”がありました。

知らずと彼は、わたしに愛のパワーを教えてくるのですほろほろ。




4.人がこころ開く時の観察


ネットでは英語が世界標準なので、英語がうまくなりたいからある空間に行きます。

けど、最初は、みんなツンデレみたいに不愛想なんですね。緊張と警戒を無意識にする。

でも、彼は臆することなく、そこで相手の母国語で急に話し掛ける。

そうすると、相手は「あっ」って言う。

防御してたはずの構えを解かれ、柔らかな懐を突かれちゃう。

面白いほどにへろへろになるのです。

彼は、それが面白くて、毎度ドッキリを仕掛ける。イタズラ好きです。



中東やヨーロッパだと、いろんな事情で何か国語かを話す青年がざらにいる。

ドイツに逃れたアフリカや中東の人だと、ドイツ語を日常にしているけど、両親はアラビア語だったりするわけです。

最初、日本人が流ちょうに英語を話す。先ずは、感心してびっくり。

次にドイツ語を流ちょうに話し出す。非常に、びっくり。何で知ってんねん!みたいな。

実はと、アラビア語で話す。信じられない!びっくりし過ぎてフガフガ言う。

相手は、ビックリを2度、3度と繰り返し、へろへろに。



はて、この人、いったい何か国語を話すんだろかと思い至るわけです。

聞くと、彼がサラリ13か国語を話しますとかいう。オーマイゴォー。

そんな奇跡、まったく理解できないので、なぜ、行ったこと無い国の言葉を知りたいのかとみんな聞いちゃう。

彼は、わたしはあなたの国の言葉が美しい、文化や地理に興味がある、そもそも人に興味があると流暢に答える。

そのレベルに驚いて、つい、どのくらいの期間勉強してるのと聞く。

と、彼はこの言語は3か月間ですとか言う。オーマイゴォー。



最初、人はツンデレなんです。

それが、一瞬にして顔を崩しフレンドリーになる。

そのチェンジは、毎度、ワンパターンに劇的です。

そして、女子たちは驚くと、口に手を当てるんです。国に寄らずみな、そうする。

わたしは、女子族の遺伝子に埋め込まれたこのコモンな反応に感動する。わたしも、オーマイゴォー。

相手は、こころを開き、彼を好きになる。彼、cuteですから。

結婚してとか簡単にいっちゃう。わたし、女子族のダイレクトさに、オーマイゴォー。

警戒が一瞬にして壊される瞬間は素敵です。

みんなが、笑う空間に成る。

人は自分を尊重して欲しいのです。

そのリスペクトの証を彼はばっちり示して行く。みんな、がさっと愛にさらわれる。



敬い、愛すれば、身近な世界が開けて行くと、わたしも信じられるのです。

誰にも出来ない”当たり前”なことを、さらっとする23才。とても素敵です。




5.青年が大切にしていること


彼は、週に何日かは1日10時間はネットにへばりつく。録画のネタ探しと言葉の練習です。

1つの言語を1期間、ずっと集中して学びます。

で、3か月しか経ってなくとも、もうぺらぺらと話す。


フレーズで覚えます。単語や文法は後。

こういう場面ではこう言うというパターンを覚えてはネットで使ってみる。

アップル→りんごというような変換を脳にさせない。

そして、現地の人の発話を正確に再現する。彼はとても耳が良い。

相手は現地人の発話レベルを、アジア人の顔した彼がするので一層驚く。



幸之助さまは、事業を為すのに愛を注ぎました。

青年は、語学習得に愛を注ぐ。ほんとに好きなんです。

きっと、幸之助さまも彼を見たら、喜ぶでしょう。

尊敬と愛を両手に持った、人たちですもの。

こりゃ、うまく行かない方が難しいのです。

世界がどうだとか、きみんとこの政府がどうのこうのなんて言いません。

他責にせず、自分の出来るところから、自分の大切なことを、自分が信じるようにするだけ。

とてもシンプル。潔くないですか?




6.願うひと


青年も幸之助さまも、相手に心を開いて見せました。

かれらは、いつもこころ自由でいたいからです。

偏見無く心あそばせ、喜びで居たい。見つけ、学びたい。

だから、かれらはみな、自分の愛の想いを語るのです。



愛とは、一切条件付けずに、相手に対すること。

自分に防御を許さないとも言えます。

それほど、そのひとにとって生死にかかわるほどに、たいせつなことがある。

それは事業だったり、語学の習得だったりする。

マジ、なわけです。

そのマジを大切にしたいから、謙虚である。愛を差し出す。

りっぱな人格者やクリスチャンになりたいからじゃなく。


上司が部下に、教師が生徒に、親が子に決めつけるのは、改善を望んでいないのです。

さっさと処理したい。

男たちが自分に閉じる時、防御だけとなるのですが、

実は、その際、なにかを切実に願ってはいないということが最大の問題なのです。

常に学び続けるほどに願うことが、無い。




ああ、、この目から見える世界は、わたしが見ている世界なのです。

自分の為に、虚栄を捨て学び続けるためなのです。

愛は地球を救えないかもしれない。

いいえ、先ずは自分がどう誠実に生きるかということだと彼らは示す。

これは道徳論ではなく、真剣勝負。勇気の話でしょう。

さあ、またがんばろって思う。