独りよがりの文章って好かれない。

いや、読みたくとも、書き手が手を差し伸べていないので読めない。

だから、文書作法では、タイトルに異常にこだわれ、誰に向けて書いているのかを具体的にイメージせよと言う。

もともと、文字とは他者が読むためのもの。

そして、伝わってと願わない限り、伝わらないもの。

でも、この単純な事実は意外と無視されます。

きっと、「手を差し伸べる」という感覚がピンと来ないのでしょう。



ネットでは、文章はより話法を気にし出すでしょう。

何を書くか(what)より、どう書くか(how)という時代に入ってるんじゃないか。

いっそう、スタイル(文体)に重心が移ると思うのですほろほろ。




1.彼の話法



ある方をフォローしています。彼は男性。

彼はささやかな生活を記述する。話題はありふれている。

上司の威圧、自分の憤り。彼は、この世界に身を合わせることがヘタクソなんです。

でも、彼の文章は普通じゃない。

書きながら、彼はわたしたちに手を伸ばして来る。ほろほろと。



すると、わたしは、他人事とはもう思えなくなる。

彼の悔しさや苦しさ、彼の喜びとシンクロしてしまう。

彼は、たぶん、ある話法を無意識に使ってる。

わたしの記事にも時々、語り掛けられてる気がする、とコメントが来る。



わたし風に表現すると彼の文はこんな感じになります。だいぶ、意訳ですが。


「僕はやっぱり許すことはできない。

ああ、でも、またダメになりそうだ。仕事を辞めるのかな。

ああ、、僕は何回こんなことを繰り返すんだろ。

ふと手を繋いで歩いてた息子を見たんだ。

そしたら、またいじけてるねって息子がわたしを見上げて言ったんだよ。

ああ、、そうだそうだ、僕はまったくいじけていたんだなって分かったんだ。」



正直で、切ない想いを書いて来る。

逃げようも無く果てしない苦しみ。それを超えて行こうと彼は勇気を振り絞る。

息子を持って、責任を持てるように成って行く、じんせいの付託に答えようとして行く。

そういった彼の成長が書かれていると思います。

それはほぼ独り言のようなんだけど、あなたにどうか届きますようにという想いがほろほろと漏れ出て来る。

祈りに近い「声」を維持されています。



彼は素敵です。

けっして得意に成るということが無い。

何人フォロワーが増えようとも、誠実です。

書き手が虚栄を張ったり、見栄をもっている内は、こんな表現はできないし、

書き手がこころを開くから、恥もなんでも正直に出すから、読み手もこころ開いて受け取る。

話題を”暗い”とか”つまらない”と思わせないのは、彼がこころから祈り、願っているからでしょう。



独りよがりの文章は、いっそう自他を孤立化させてしまうのです。

他者を配慮している気でいても、他者の目を気にしているだけかもしれない。

彼は、自分のことを書きながら、自分を中心には見ていない。

彼は家族を持ってようやく解放されてゆく。

そういう”話法”を彼は紡ぐ。





2.彼女の話法



歌とは、悲しみなんだなって思う。

国は違っても、人たちのこころに届けられてゆく・・。

彼女が、さだまさしの『道化師のソネット』を歌っています。

韓国での番組の録画。52歳のりえさん、素敵です。

https://www.youtube.com/watch?v=iC1Y-1pwbm0&list=RDEM_FwXziMfZnE3ogxf9gPcMQ&index=2



もう第1声から、韓国の人の胸倉をつかむ。

もし、わたしがそのパワーを見ることができたのなら、彼女の胸からぱぁーと広がる暖か色の光が見えたでしょう。

彼女は、喉と鼻と頭蓋骨を一体化させ眉間から声を出す、そんな感じのある話法(ボォイス)を使っているはずです。

それは、語り掛け、問い掛け、呼びかけ。

そういう声をわたしも会話で少し出すことがあります。

どうしても、という想いを持つ時です。

それは、切実に想いを伝えたい時に使わざるを得ない。

大きな声というわけではなくて、とても、深く遠く貫通して行く声となります。



ご覧になっていただけると嬉しいのですが、聴いてる人たちの一部の女性はすぐさま泣くのです。

いや、泣くことを必死に耐える。

いや、ボロボロ泣いて行く。

彼女自身、「(この曲がここでの)最後なので、韓国の人の胸の奥にしっかり届くように歌います」と言っている。

明確に届くことを念じていた。



おそらく、人によっては、この歌で閉ざしていた執着を解放してしまう。

どっと泣き崩れそうになる。

さあさあ、笑おうよとよびかけられる。

あなたのために、そして私のために笑ってよと、強烈なビームが放射されて来て、受け取れた者は浄化される。


歌は、うまいだけでは十分じゃない。

聞き手の胸が開かれねばならない。

だから、歌い手が先に全力で胸を開かねばならない。

伝えたいと言う切ない想いが放射されて、はじめて聞き手は受け取るでしょう。

聴き手の女性がアップされる。

この泣きそうな顔が、堪えているその泣き顔、とてもとても美しい。


歌は、文よりダイレクトです。

この映像は、第1声でそれを実現している良い例でしょう。

言葉が分からなくても、隣国どうしで揉めていても、

そんなの簡単に吹き飛ばして、りえさんは手を人たちの胸に差し込んでくる。



話法は、文章に置いての黄金律でしょう。

それは、アマだからというような話ではないでしょう。

みんな辛く苦しく孤独だからこそ、それは真剣にメッセージングされないとならないと思う。

彼と彼女は、その話法を教えている。




P.S.


韓国の歌手と歌い比べています。『悲しい因縁』

https://www.youtube.com/watch?v=_oY4UUb13hQ&list=RDEM_FwXziMfZnE3ogxf9gPcMQ&index=3


韓国の歌い手はすごくすごくうまいです。

でも、手の伸ばし方、その解放の仕方はりえさんがうまい。泣かせてしまう。。


極端な比喩を使えば、りえさんはいつでも自害できる。

あなたに伝えられなかったら、自分が少しでも怯んだら、腹掻っ捌く覚悟だ。

ただ歌を歌ってるわけじゃない。

うまいとかヘタとかを超えて覚悟している。サムライのよう。

その一途さが、わたしたちをモティベートする。

そして、わたしたちはほろほろと泣く。




P.S. おまけ


『冬のソナタ』の主演はペ・ヨンジュンとチェ・ジウ。

日本でも放送され、あれから20年。

実は、わたしはあまりの昼メロに抵抗して最初は見ていない。

韓国への偏見もあった。

が、見ないフリしながら、だんだん、わたしはかぶりつき始めた。

ヒロインはあまりに優柔不断だと文句言いながら、わたしの胸はほろほろと・・。



それは、わたしだけじゃない。あなたの胸に刻まれていることだ。

それは逃げることが出来ない。必ず苦しむ。

こころが切な過ぎて、わたしがさ迷い出す。。。

歌心りえが歌う『冬のソナタ〜最初から今まで 』です。

男性が歌うものとまったく違う。


https://www.youtube.com/watch?v=ZJFa2mSsBbY&list=RDEM_FwXziMfZnE3ogxf9gPcMQ&index=4


彼女は、想いをダイレクトにこちらに届けて来る。

「一人残らず涙を流してもらえるように」と言っている。

本場の彼らもびっくりしている。



雪、雪、雪・・。

雪が深く降る日々。果てしなく降り続く。すべてを白い景色に変えて行く。

けっして止むことない、白い花びらが舞い続けるのですほろほろ。