衝撃の事実?がある。

できすぎ君は、のび太同様しずかちゃんにプロポーズをしたが、

「あなたは1人でなんでも出来るでしょ」という理由でフラレている。

しずかちゃんがのび太と結婚すると決めた理由ははっきりしていた。

なんと、「そばについててあげないとあぶなくて見てられないから」だった(20巻『雪山のロマンス』)。

わたしは、優しく聡明なしずかちゃんだから、そう言ったのだとずっと思っきた。

いや、あなたもしずかちゃんかもしれない、ほろほろ。




1.最近のXが頭に来る


X(Twitter)のタイムラインにやたらと関係の無い記事が出るようになった。

たとえば、サッカーの試合記事を1つじっくりみてしまうと、頼んでもいないのにサッカー関係の記事が山の様にタイムラインに出て来る。

お笑い関係をじっくり見る。と、これまた、続々とお笑いが出て来る。

いやいや、わたしゃ、海外のニュースをメインに見たいんだっ。

わたしが登録しているリストなんか完全無視し、システムはとにかく今コイツが見ている関連モノを出そうと焦る。

強制的に推奨してくるし、宣伝もすごく増えた。

いらつくぞ、嫌いになっちゃうぞ、イーロン!



もちろん、ガザとウクライナばっかりだとさすがに気が滅入る。

正直、たまにはサッカーやお笑いが挟まるとほっとする。

たまになら、いい。

けど、ニュースたちが隅っこに押しやられてサッカーとお笑いばかりなのは我慢ならない。

イーロン、君が採用したアルゴリズムはだんぜん気に入らない!



ということで、総員配置につき撲滅作戦を決行した。

「わたしゃ、これに興味が無い」というフラグをそれぞれに貼って行ったのです。

ペタペタ。

でも、貼っても貼ってもお笑いやサッカーが出て来るっ。

負けるもんかっ。

根性出してフラグを1個1個立てて行く。

20分も根気よくフラグを立てて行った。

と、気のせいか不要な推奨記事が少なくなって行く・・・ような気がする。



翌日、またXを見る。

と、お笑いが出て来た。がっくり。

でも、ガザとウクライナが気になる。

また根気よく「わたしゃ、これに興味が無い」というフラグを立てて行く。

で、20分も地味な作業をした。

だんだんとシステムも諦めてくれたような気がする。

確かに、タイムライン(画面に表示される記事)がすっきりして来た。CMは仕方ない。



ということで、わたしは、不要な記事をたんまり見るはめになったのです。

不要といっても、それなりの水準のものをシステムはお薦めしていた。

面白く無いわけではなく、記事自体はよくできているものも多い。

お笑いなりに、がんばってる。

でも、今は、そこじゃない!わたしは経済や戦争の情報が欲しいんだっ。

じぶんにとって邪魔な記事をたんまり処理しているうちに、はたと気が付いた。

わたしが拒否した記事のフォロワー数は大半が、数百、数千程度のものばかりだった。

実は、100万を超えるようなとてもフォロワー数の多いお笑いとサッカー記事は温存した。

もともと好きだから。少しだけなら、いいだろう。



正直にいえば、わたしの投稿なんて、数十もフォローしてもらえません。

ふだんだったら、数百、数千もある記事を見れば、すごいなって思ってた。

がんばっているんだし、それなりの記事なのです。

システムもいい加減にリコメンドしてるわけでもない。



わたしがXでフォローしているのは、100万とか1000万のたとえば、CNNニュースみたいなもの。

BBCやScience、NBC、Times、Guardian、Telegraph、Wall Street、National Geographic、NASA。。

いや、フォロワーがそこまで多くない、くどうれいん、短歌関連、星の王子さま関連だってあるぞ。

でも、超すごいフォロワー数のものが大半なのです。

もちろん、フォロワー数の大小で中身が決まると、わたし自身思ってない。



意外なことに、「わたしゃ、これに興味が無い」というフラグを立てた記事たちには、書き手の顔が無かった。

それなりの内容だけど、書き手が誰でも良かった。

Aさんが書いたものか、Bさんが書いたものかが区別されないと言えば伝わりますか?

「あなた」が書いているからと見る、というような記事じゃなかった。

「その人」が表現したとする個性がそこに見つけれなかったのです。

『ドラえもん』に登場する、できすぎ君みたいだ。

その人の欠点もクセも分からないから、親身になれない。

フォローするというのは、読み手はその書き手と手を繋ぐことでしょう。



わたしが拒否した記事では、その人に対する好悪とか、その人があるいはこの組織が書いているから安心だとかの感情を持てないものだったのです。

CNNはCNNが、Joe BidenはBidenが責任持って書いている。

その人らしさがある(わたし自身はバイデンさんが素敵だとおもってはいません)。

その人らしさとは、その情報ソースらしさ、その固有性でしょう。

それがあるから、100万とか1000万のフォロワーがついて行ったのです。



できすぎくんは、色が無さ過ぎてつまらないというよりも、フォローしていいかを判断できない。

若い作家でいえば、さいきんはくどうれいんや岸田奈美が面白い。

2万あるいは20万のフォロワーとなっている。

彼女たちは、単に気の利いたことを書いてるわけじゃないのです。

「彼女たちならでは」がどこかにある。

個性があるからフォロワーが増殖して行ってるでしょう。




2.じぶんで拒否したお笑い記事と同じじゃん


わたしもXに投稿することがあります。

そんな時、わたしは素敵なコンテンツとなるようにと考えてきた。

でも、わたしらしさをことさら考えてはいなかった。

いや、ちょっと個性を晒すのは恥ずかしい。



仮に内容が素敵だったとしても、わたしらしさが無いなら、他者はフォローしようとは思わないでしょう。

内容の素敵らしさとは、フォローしてもらう上でこんな優先順番なんですかね。

①読み手の関心領域か>②書き手に固有性があるか>③内容が素敵か

もちろん、この3つが揃っていないといけない。

「わたしゃ、これに興味が無い」というフラグを立てて行く中で、気が付いたのです。

わたしの気にしていたのは、一番、最後のものだけだったんだ。



わたしは、読み手の関心あるであろうテーマ①も、わたしらしさ②も気にしていなかったのです。

書く基準は唯一、じぶんが素敵だと思う記事③を書くという構えだった。

考えようによっては、独りよがりに世間にケンカ売っていた。

オレが関心ある内容を出したぜ、気に入る者だけ付いて来い、みたいな。

もちろん、凛とケンカ売ってもいいのです。

でも、読まれないとわたしはガッカリしている。

ただの独りよがりだねと言われても、わたし返す言葉も無い。



コンテンツを投稿するのは、みんなに読んで欲しいからです。

読んで、出来れば「いいね」って言って欲しい。

誰に?、あなたに。

あなたは、わたしを識別できる?

ううーん、カオナシだな、きみは。




3.しずかちゃんは、当分お嫁に来ない


わたしらしさ、エッジの利いた表現、ニッチに特化する・・。

いろんなことが言われているでしょう。

が、わたしはそんな面倒くさいこと考えたくも無い、とも思ってる。

いや、いろいろ考えるオツムを持っていない。

わたしの記事が仮に「興味がありません」フラグを立てられても、それは仕方無いのです。

わたしにはそれはどうしようもない。

わたしは、わたしが大切だと思うことを、書くしかない。


また、②の「書き手に固有性があるか」という点で、わたしがXの記事を取捨選択してたのだとしても、

妙に「オレ感」が出ている記事は鼻につきます。

「書き手に固有性があるか」という点は、①や③とも綱引きするのです。

のび太は、ダメダメなんだけど、それが固有性②を担保する。

そのダメダメにも関わらず、ある時奮起したり、人情に泣いたりして素敵な内容③となる。

そんな彼は、女子であるしずかちゃんの関心①を満足させている、と思う。

ああ、とても面倒だっ。



そもそも、冷静に考えると、わたしは人気者になりたいわけじゃない。

仮に有名人となっても、Joe Bidenもここを去らないといけないし。



この世で1番のフォロワーであるわたしが、わたしらしさを掴めてない。

わたしは、わたしが自分をまず受け取らないといけない。

それさえ、出来ていないんだ。

でも、恥ずかしがっている限り、ちょっと難しい。

仕方無い。

淡々と表現を置いて行くしかない。

できれば、わたしというエゴを落とし、できれば、感謝の気持ちを置いてゆく。。

いや、この最後に書いた数行に、わたしであることの理由をあなたは見つけられない。

ありゃりゃりゃりゃ。。



「そばについててあげないとあぶなくて見てられないから」とまで思ってもらえることは難しいだろう。

でも、書き手の手の温もり、眼差し、流れる時の速度なら、じぶんでも問える。

今日もこうして、あなたと生きているんだから。

そんなことを思った。

で、ここに記録した。




 



いつだって偉大な師匠を見つけることは難しいです。

たいがい人は、教えようとすると上に座り、自分の虚栄心を生徒に投影してしまう。

でも、優秀な生徒は、偉大な師以上にもっと稀だと言われてる。

生徒側から見ると、教える師には2つのタイプがある。




1.結果を示す


わたしは、バイオリンを弾いたことが無いし、パガニーニも2,3曲しか聴いてない。

けれど、腰抜かした。

https://www.youtube.com/shorts/d48V547Tws0?feature=share



弾いているのはAugustin Hadelich。2020年にデトロイト交響楽団と共演したもの。

プレイヤーはやけに口が大きくて、猫背。魔界の使い?

いいえ、15歳の時、全身の60%にもおよぶ大やけどを負う不幸な事件に会ってる。

20回を越える手術とリハビリを強い精神力で克服し、カムバックした奇跡のヴァイオリニストだそうです。


パガニーニが難しいとは聞くけれど、確かに見ていてそれは分かった。

右手の弓が弦の何本かを同時に揺らすんだもの。

メロディとリズムに惹き込まれて行きます。

響いて来る音たちがちょっと違う。芳醇でダイナミックな音たちです。

彼には、繊細さと華やかさがあるのですね。すんごい。

意外なことに、彼の凄さを通じて、パガニーニがいかに優れた作曲家だったかを知った。


彼は、生徒に結果を示す。生徒は、その高みを目指す。

きっと、彼の生徒になる者たちは、この奇跡のようなレベルを追っかけることになる。

もちろん、彼の演奏に心酔したのだからいいのだけれど、師が偉大であればあるほど生徒は脱落し易いでしょう。

師に出会った時、生徒は未だ未熟なのです。




2.プロセスを示す


近年になくこのバイオリン協奏曲に振るえたのだけれど、実は、もっと震えたものがある。

若い生徒に、プロのジャズ奏者が教えてます。若者によるNYO Jazzが開かれる。

楽しそうでしょ?

https://www.youtube.com/shorts/hvUB0yIp4RU?feature=share


青年せんせいは、まっすぐ生徒を見てる。

目がニコニコしながら、うんうんと頷きながら手でリズムをとって行く。


わたしも高校生の時、トロンボーンを吹いていました。

生徒たちは未だ十分には練習できていないでしょう。

生徒たちは、もちろん、世界的なプロに教わるということで緊張している。

カーネギー・ホールでやるようなので、かなり大掛かりな組織運営でしょう。

でも、この先生が、ワン、ツー、スリー、フォーとリズムを取ると、楽しい。

ワン、ツー。ワン、ツー、スリー、フォーと繰り返す。

先生の目は、真剣で、かつ、優しい。


先生は教えるべきポイントに少しも迷いが無い。

こころが開かれ、まっすぐ生徒に伸びている。

生徒たちと練習セッションを奏でる。

ああ、、こんな先生にわたしも習いたかった。


先生は、常にリズムをとり、リラックスしています。でも、無駄は無い。

生徒が吹くと、「ベター」といって励ます。

生徒たちの目が輝いています。

こんな教え方、わたしには出来ない。



楽しそうに先生がするから、生徒もじゃあやってみたいって思うのです。

とにかくチャレンジしようとする。

楽しそうだから、楽しくなる。楽しいからじゃない。

先生は、リズムを取ること、つまり、プロセスを教える。




3.マハラジの処方箋


ニサルガダッタ・マハラジの語録をデビッド・ゴッドマンが「I AM THAT」として著した。

20世紀でもっとも著名なスピ系の書籍の1つとなりました。

で、デビッド・ゴッドマンがインタビューワーにこう言っていた。


「マハラジはほとんど稀にしか自分の人生について語りませんでした。

それについて質問することも勧めませんでしたね。

マハラジは自分自身を、アドバイスを求めにきた人々のスピリチュアルな疾患を診断し、治療する一種の医者と考えていたようです。

彼の薬とは、彼の存在と力強いことばでした。

過去の逸話は処方薬の一部ではありませんでした。

また彼は他のことや他の人についての話をすることにも興味がないように見えました。」



偉大な覚者だとなると、人たちは秘密を知りたがる。師に何が起こったのか、何をどう学んだのかと。

でも、マハラジは聞かれてもはぐらかしました。

探す者に1つの型を話してしまうと、それを御大層に奉るからです。

「彼の薬とは、彼の存在と力強いことばでした」とありますが、彼が座っているだけで時空が変わったそうです。

抜きんでると、もうオーラからして違うようです。彼自身が恩寵(おんちょう)として、来た者を励ました。


「力強いことば」というのは、明確な表現を使ったということです。

覚者にしては、口が悪い。でも、いつも自然で謙虚でした。

かえって、それが世界中からインドのボンベイ(ムンバイ)の粗末な彼の家に人たちを吸い寄せた。



実は、マハラジは自分の師について語っています。


「わたしの師は、5つのバージャン(奉仕の気持ちを表す歌)を毎日するように言いました。

彼は亡くなる前に、かれの教示を決して取り消しませんでした。

私はそれらをもうする必要はないのですが、私は自分が死ぬまでし続けるでしょう。

これは師の命令だからです。

私は彼の教示に従い続けます。たとえ、それらのバージャンが無意味だと知っていても。

それは、彼へ感じるわたしの尊敬と感謝ゆえです。」




4.師との出会い


マハラジは、貧しい農場に生まれ、正式な教育を受けることはありませんでした。

18歳の時、父親が他界。

ムンバイを離れ、働きはじめるのですが嫌気がさしてすぐにやめ、雑貨屋を始めます。

たばこや子供服を扱う雑貨屋・洋品店を営んでいて、4人の子供の父親としてつつましやかに暮らした。

中年までまったく普通の単調な人生を送りました。


34才のある日、友人のすすめで師、シュリー・シッダラメシュバール・マハラジに出会います。

師に「私は在る」、ただこれだけを見つめつづけるようにと教えられた。

たったそれだけでした。

マハラジは、素直に、単純に、その教えを実行しつづけた。


途中で師が亡くなります。

師に会っていた期間はわずか3週間ほどだったとわたしは記憶しています。

そして、出会いから3年後、ニサルガダッタの魂は真理でみたされます。

時間を超えた平安のなかに在る真の自分に出会ったと言っています。

その後、店を経営しながら体験を楽しんだ。


後に、彼は家庭と仕事を放棄して、托鉢僧となりインド中の聖地やヒマラヤを歩いて旅します。

やがてその放浪の無意味なことを知り、家に戻ります。



5.教わることと、実行することの間

 

じぶんだったら、どうなのかなと思います。

わたしはよき生徒にはなれなかったでしょう。

マハラジの代わりにもしわたしが師に会ってたら、きっと、質問攻めにしたと思う。

質問しながら、納得できれば、その師の言うことを信じる。

納得できなければ、保留にする。

大した事無い人だなと思えば、師にはしない。

どこまでも、わたしはじぶんのエゴの方を優先基準にしています。

わたしがすごい師匠だと思う時、その時のわたしのレベルに相応しい者を師として置く。



でも、マハラジは最初に信じたのでした。

師がそう言うのなら、そうなのです。後は言われたように実行するだけです。

なぜ、そんなに単純なのか、誠実なのかというと、

きっと、師を見た瞬間にマハラジはその臨在に触れてしまったのでしょう。

宇宙、神、神秘、、なんていっていいか分かりませんが。

生徒に触れる力量があった。



すくなくとも、師からは暖かい励ましがあったと思います。

なぜなら、マハラジ自身、厳しくも暖かい目を持っていましたから。

ちょうど、先の青年せんせいのように。


単に他者からすごい話を聞いても、人は実行には移らないのです。

1つの真なるものに邁進してゆくには、暖かく、真剣で、誠実なパワーの励ましがいる。

そのパワーの放射を放つ者が師となる。

でも、師は普通のおっちゃんで偉そうでも何でも無いのです。

師はプロセスだけ教え、励ます。

創造性とは、こころ自由でないとなりません。型にハマらないためには、楽しさ、嬉しさがないとならない。

進むのは生徒自身ですから。



存在自体の凄さを受け取れるレベルの生徒という者が稀に存在して来ました。

両者が相まみえる、というのは奇跡のようです。

じぶん自身のことで無くとも、それを垣間見れるのは、この世に来た甲斐があるというものです。







 


ときどき、これは誰に向けて書いてるんだろう?って時がある。

じぶんに宛てて書いているようです。

きっと、じぶんに語り掛けたいのでしょうほろほろ。



1.ずっと謎


何十年も、「魂」ってほんとにあるのかな?と思って来た。

ぜんぜん、はっきりしない。

臨死体験者の話を読むと、「わたし」と言うこの意識とは別に、それはあるんじゃないかと思えてくる。

いや、そっちが主役で、ハートにお住まいになってる。

何ではっきりしないかというと、「わたし」と言う感情や意識が雲として胸を覆ってしまうから。

「わたし」は、その黒雲のせいで本家の「魂」の声が聞こえない。彼女が住んでいることさえ忘れて行く。。

「魂」って、ほんとにあるのかな?



ある時、サンガ・ヌーナの弾く『Oblivion』を聴く。

https://www.youtube.com/watch?v=NYuRal6VF8U&list=RDNkp5Bc2tSqM&index=5

そしたら、この胸が、ほろほろするのです。

誰がほろほろしてるん?「わたし」?いや、もっと深い存在が泣く。

きみは、誰?

たいして怪しい話をしたいのではありません。

ただ、わたしが胸を開いた時は、いつも切なさと解放が来る。



冒頭からはじまる哀愁の旋律にわたしのこころは鷲掴みにされます。

静謐(せいひつ)さと悲しさが合わさってる。

初めて聞いたのに、よく知ってる曲ってある。

ずっと昔、きっとあなたと聴いたであろう調べです。

みんなは、それは気のせいだ、うまい作り手はそんなふうに作るんだとか言うけれど、説明になってない。

どうして、こんな曲が作れるんだろう?ってわたしは思う。

なぜ、懐かしいんだろう?



サンガ・ヌーナは、急にキリリと鍵を打つ。パッションが立ち上がって行く。人の儚さを想わせる。

きっと、わたしがそれを経験したのは怒涛の時代だったのです。

けっして、幸せを見ることのない時代の出会いだったでしょう。

あなたとわたしが出会い夕日が沈む。ススキ揺れる川原の。。

いったい誰が作った曲なんだろう?




2.Oblivionを書いた人


調べてみると、アストル・ピアソラという人でした。1921年、アルゼンチンに生まれてる。

(以下、http://pianolatinoamerica.org/piazzolla/piazzollabio.htmlから引用しています)



彼の父は、ピアソラが生まれた頃は自転車屋をしていたけど、大の音楽好きでギターやアコーディオンが弾けたらしい。

1925年、一家はアメリカのニューヨークに移住する。

ニューヨークでのピアソラはいくつもの小学校から放校されてる。

8歳の時、父にバンドネオンを買ってもらう。

最初は興味を示さなかっったけど、それでも10歳の頃には1日何時間も練習をしていたという。



1933年、あるピアニストの演奏をピアソラは聴いて感動し、自から希望してレッスンを受けます。

その人からはクラシックの和声や作曲の基礎を教わってる。12歳でした。

やがて、タンゴに魅せられる。

一気に夢中になり、1939年に首都ブエノスアイレスに一人上京します。

有名なトロイロ楽団のバンドネオン奏者に採用されます。

一方で、ピアソラはクラシック作曲家への憧れを持っていた。



なぜ、こんな話をするのかというと、『Oblivion』を書いて演奏した人だから、わたしには才に恵まれた人に思えたのです。

きっと、タンゴが好きで好きで本懐を遂げたんだと。

彼は有名になりました。でも、本懐は遂げられませんでした。




3.あなたは一体どこにいるの?


それは、わたしの青春の頃のこと。

わたしは、アルトゥール・ルービンシュタインのピアノが大好きでした。

ぜんぜん昔の人だと思ってたピアソラに、ルービンシュタインとのクロスがありました。



1941年、ピアソラはブエノスアイレスに来ていたルービンシュタインの宿泊先を訪れます。

自作の協奏曲を見てもらったのですが、ルービンシュタインに「勉強が必要」と言われ、ヒナステラを紹介してもらう。

ピアソラはバンドネオン奏者として忙しく活動しながら、約五年間にわたりヒナステラから作曲法・管弦楽法・和声を学びます。


彼はバンドネオン奏者になりたかったんじゃないのです。

タンゴは大好きだけど、タンゴじゃないんです。クラッシックだった。

トロイロ楽団でのピアソラの個性的な作曲・編曲活動は他の楽団員やトロイロとの軋轢を増し、ついに1944年にトロイロはピアソラを解雇する。

同年、タンゴ歌手フィオレンティーノの伴奏楽団の音楽監督に抜擢されますが、ピアソラの大胆な編曲とは合わず、結局1946年にフィオレンティーノとも別れる。


1946年から1949年まで、Astor Piazzolla y su Orchesta tipicaを結成します。

タンゴ曲を作り、だんだんと知られて行く。

でも、クラシック系のピアノ曲や室内楽曲なども作曲しています。

タンゴを愛しながらも楽団とはうまくやっていけず、一方クラシック作曲家になる夢を持つ。

タンゴとクラシックの間で揺れ動いていた。



いや、彼はクラッシックを諦めなかった。

1951年に発表された交響的楽章「ブエノスアイレス」が、セヴィツキー・コンクールで一位を獲得する。

1954年、フランス政府からの奨学金を得てパリに留学に。

胸を大きく膨らませたでしょう。才能が認められ始めたのです。33歳です。

パリでは、有名な作曲家のナディア・ブーランジェ女史に個人的に師事し、厳しいレッスンを受けます。

ナディア・ブーランジェとの出会いは、その後の彼の運命にとって重要となります。

引用元の記事によると、『アストル・ピアソラ 闘うタンゴ』という本にはこうあるという。



初めてブーランジェの家を訪れた際に、それまでに書いたすべてのクラシック作品の譜面を携えていったピアソラは、バンドネオン奏者としての、タンゴ音楽家としての素性は明かさなかったのです。

課題を黙々とこなし、真面目に作曲や理論の勉強を続ける日々が続いた。

ある日、彼女はピアソラに対して、あなたの作品はよく書けてはいるけれど、心がこもってないと告げる。

アストル・ピアソラは一体どこにいるの?

あなたは自分の国では何を弾いていたの?

まさかピアノではないでしょう。

思い悩んだ揚げ句、ピアソラはそれまでの経歴を語った。

それではあなたの音楽を、あなたのタンゴを聴かせて頂戴と女史から促されたピアソラは、渋々ピアノに向かい「勝利」を弾いた。

聴き終わった女史は目を輝かせ、ピアソラにこう言った。

「素晴しいわ。これこそ本物のピアソラの音楽ね。あなたは決してそれを捨ててはいけないのよ」



1955年、パリからアルゼンチンに帰国したピアソラはブエノスアイレス八重奏団、およびアストルピアソラ弦楽オーケストラを結成。

1958年に両者とも解散させてからは、同年ニューヨークに移住し、いくつものミュージシャンと共演。

1990年8月4日、パリ滞在中には脳出血で倒れる。

アルゼンチンのメネム大統領はアルゼンチン航空の特別機をパリに差し向け、8月14日ピアソラはブエノスアイレスに到着。

その後、闘病生活の末に1992年7月4日死去。享年71歳。

(引用元さま、ほとんど引用でまことに済みません)


「アストル・ピアソラは一体どこにいるの?」と問われた時、彼は胸にあったことを観念したでしょう。




4.誰が泣いているの?


『Oblivion』は、ふつうタンゴの格調高いバンドネオンで奏でられる。

でも、サンガ・ヌーナの弾く『Oblivion』はもっと若い躍動感があります。

彼女の情念がほとばしる。彼女が魂込めて弾いていることがわかる。


ピアソラの作った数々のタンゴの作品はもちろん、有名。

で、彼の作ったピアノ曲は、「よく書けてはいるけれど、心がこもってない」という評が今でもされる。

後世に残るような作曲家渾身の作品とは呼び難いという。

ピアソラの本領は、あのむせび泣くようなバンドネオンで歌われるタンゴにある、という。

たしかに、わたしの胸は『Oblivion』に泣く。



好きなことと、その人が出来ることはほとんど違う。惨めなほどに、違う。

「よく書けてはいるけれど、心がこもってない」と言われ愕然としたでしょう。

プロ中のプロの師匠にそう言われたら、わたしだったら絶望したと思う。


彼はアルゼンチンに生まれたんだもの。

生まれた時から先にタンゴが魂に書き込まれている。

魂は一度魅入られたら生涯忘れない。

ピアソラという「わたし」の夢は実現されなかったけど、人にはけっして捨ててはならぬものがあるんでしょう。

あなたの好き嫌いに関わらず「出来ること」とは、偶然では無い。

タンゴを歌い続けろと、彼の魂が願ったのでしょう。



きっと、あなたにも「又裂き」があるかもしれない。

「わたし」が願うことと、「魂」が命ずることとが一致できないというようなことが。

自分の魂の声が届きにくくても、他者もみな「魂」を持っている。

他者を介して、彼は魂の声を聞いた。

「よく書けてはいるけれど、心がこもってない」と。

絶望ではなく、きっと彼は観念した。

諦めるとは、明らかに知らしめるという言葉。



多くの人は時節が来ると去って行きます。

こうして書いていても空しくなることがある。

そんな時、ほんとの声を聴けとピアソラの魂が、わたしのハートに届くのでしょう。

わたしの胸は、Oblivionに泣く。



P.S.


『シンドラーのリスト』のテーマ曲です。

冒頭からはじまる哀愁の旋律にわたしのこころは鷲掴みにされる。

そして、パッションがわたしを開かせる。

凄腕のサンガ・ヌーナにやられっぱなし。

床に倒され、わたしはぴくぴくほろほろとします。

https://youtu.be/ZxuQHaYVI7k?list=RDNkp5Bc2tSqM



 

 

 




割と言われて来た。社交辞令かもしれない。

わたしたちは、いつもその言葉がピンと来ないのですほろほろ。



1.何をいつもそんなに話しているのか不思議よ?


シニア向けマンションの1階には大浴場があって、女子たちはそこで情報交換してる。

脱衣所で、いつも親切にしてくれるおばあさんがかのじょに話した。

「玄関のドアのしまりが悪いのよ」。


1階のコンシェルジュが何でも相談に乗ってくれるので、おばあさんは”相談”しに行った。

コンシェルの中には、つっけんどんな職員もいる。

いいえ、そんなはずありません!と開口一番に言われてしまったそうだ。

各部屋は玄関ドアからなにから何まで24時間監視していますっ。開きっぱなしなら、とうにアラームがなってるはずです!

でも、実際、ドアの締まりが悪いのだ。

コンシェルジュは諭すばかり。段々と、おばあさんはコンシェルに叱られてるような気になっていったという。



「わたしがコンシェルなら、そうですか、後で見に行かせますで終わりにしちゃうけどなぁ。

監視システムのことなんかウダウダ言うなんてしないです。何が正しいかなんていう話、面倒だもの。」

とかのじょはおばあさんに言い、付け加えた。

「きっと彼なら激怒しますよ。

ほんとに閉まらないのかどうかなんて議論するなっ、先ず相談に乗るというのが本来だろ、コンシェルの仕事だろ!って」


「ええー、そんな激しい旦那さんなの?

大人しそうだし、ほら、いつ見かけても二人でよく話してるじゃない?」


「いえ、これは違うってなったら、彼、激怒します」。

(いや、そんなほんとのことを、、他人様にばらさんでもよかろうに・・)


「そうなの?わたし、ほんとに不思議なのよ。

いつも何話してるのかなって思ってたの。

そんなに二人で話すことってあるのかしらって。」


80過ぎのおばあさんの旦那さんはもう亡くなっているけど、夫婦で話すってなかったという。

おばあさん、続けた。

「わたしが、何か言うじゃない。そしたら夫は返事もしなかったわ。

聞いているのか、関心ないのか、無視ね。だから、夫婦ってどこもそうかと思ってたわ。

でも、あなたたちは違ったの。

バスを待ってる時も、バスの中も、スーパーに居る時も、道を散歩してる時も、とにかくあなたたちはずっと二人で何か話してる。

いったい、ふたりで何をそんなに話すことがあろんだろうって、ずーっと不思議だったのよ」。

(おお、、誰も見てないとわたし油断してた)


たしかに、いつもどちらかが口を開いている。

いったい、わたしたちは何をそんなに話しているん?




2.あなたのせいなのだ


お風呂から帰って来て、かのじょがそんな話をした。

「何話してるのって、いったい何話してるんだろうね?」と、わたし。

「あなたは、よくわたしに問うわ。もちろん、わたしも何故?と言う。思ったこともすぐに口に出すけど。」


かのじょはADHD気質満載のひと。

27歳の時に初めて見た時から、その集中力はすごい。

でも、集中先以外が完全脱落してしまう様は今も変わらない。

他がおざなりになる。

よくポカを仕出かす。ずっと不思議ちゃんのままです。

方やわたしも、何でだろう?と思うと確かめたくなる。むかし、研究職だった。不思議くんのままなのか。

ということで、いつもお互いが相手に何かを聞いている。

何でだろう?どうしてなんだろう?って。

純粋に不思議に思う。なので、ただ聞いている。



大事な前提がある。

プライドが異常に高くて、かつ傷付き易いこの繊細くんに対して、かのじょは一切、上から目線しないのです。

誰に対しても、決めつけない。バカにもしない。

わたしは、反論されたことも命令も批判も、された覚えがまったく無いのですほろほろ。


例えば、誰かにあなたが相談したとする。アドバイスを受けたとする。

と、そこにはどうしても、わたし教える者、あなた聞く者という上下関係が出来る。

自分から相談したからって、アドバイスを聞くとちょっと聞いた方はどこかが面白く無い。

いわんや、頼まれもしないのに、先生や親や上司から”アドバイス”されたら、面白くない。

かのじょは、出来ないことが山の様にある人だから、アドバイスさえしない。

わたしが頼まれないアドバイスをしたら?

それはあなたの考えね、でも、わたしは違うわというスタンスを貫ける。



話すことは手段でしかない。

おばあさんだって、どういう関係なの?と言いたいのだろう。

でも、それを聞かれても、わたしたちは「普通にそのまま話してます」としか答えられない。

ラブラブ?いえいえ、もう何十年もツガイになってるから、相手は見慣れている。

が、その相手が、いつまでも見慣れない質問をしてくる。ええ”-っていう問いをする。

不思議ちゃんは時々、天から降ろされたように”お告げ”もスラスラのたまう。

ええ”-って、わやしはのけぞる。



わたしは、きっとあなたと話すことが嬉しいのだ。(あなたがわたしをどう思ってるかは分からないけど)

決め付けること無く、いくつになってもあしながおじさんのジュディであり、赤毛のアンであるあなたの魂に触れていたいのだろう。

オノロケではないと思う。

常に少女のままの人。妻となっても母となっても年老いても、まったく変わらなかった人。

世界が期待する役割を演じられないのです。

淡々と自分を見ているので、なり切れない。

そんな稀有(けう)な人って、わたしの好奇心がモリモリしちゃう。

決めつけ激しく、怒ってばかりな男が、女子並みに話好きなのは、あなたのせいだ。




3.わたしは誰と行く?


今朝もお風呂場に行くと、そのおばあさんが他の人と話していた。

あけっぴろげな性格だそうだ。かのじょは聞き耳立てた。で、こんな話をしていたという。


「今日ね、わたしのカレンダーに”ジャズ”って書かれてたの。乗るバスが何時かも書いてある。

確かに、ジャズなら行くって言ったような気はするのね。

でも、誰と行くのかが書いてないの、思い出せないの。

いったい、わたしは誰と行くのかしら?」


聞いていた相手が言った。

「でも、まぁ、約束は約束だから、その時間にバス乗り場に行けば分かるんじゃないの?

誘った相手はあなたを見つけて、さあ、行きましょうってなるわよ、きっと。

大丈夫よ、心配いらないわ。」


「でも、ほら、バス乗り場にはいろんな知り合いがいるはずなの。

ひとりがわたしに話し掛けて来たとしても、それが今日のお相手じゃないかもしれないわ。

あなた、ジャズに行く?って、いちいちわたしが相手に確認するのもへんじゃない。

そうこうするうちに、また、別な人がきっと挨拶してくるわ。

いかにも、さあ、これから行きましょう、みたいな雰囲気だったらどうしよう。。。」


これを横で聞いてたかのじょは、ぜひ、その続き、後日教えてください!!って思ったそうだ。

で、わたしに付け足した。

「ねっ、お風呂場って面白いわ。わたし、面白い話って大好きっ」

真面目な話しかできないに男に、そう言った。




かのじょはこの世界に「面白いことはないかしら」と探して生きている。

わたしに報告してくれるときは、「あのね、こんな面白い話があったの」と前置きする。

自分の悲しい話だって、笑いながら話す。

笑いを食して生きている。いや、人を傷つけたくないんだろう。

自虐ネタはかのじょの鉄板だ。



わたしは、書く文章のネタばかり探している。

ネタ源の1つであるかのじょの話も興味深く聞く。

ふつうの夫は、聞けば夫のお役が済むから、聞いてるフリぐらいで済ます。

でも、わたしは、そうはいかない。

聞いた話をあなたに伝達しなければならない。

かなり気合が違う。そこらへんの男とは違うっ!

途中で話が分からなくなったら、かのじょに確認するし、補完してくれるよう促す。

可笑しかったら、一緒に笑ってる。続きが出て来るし。

しろうとなりに、書くってたいへんなんだ。

かのじょはこの世界で面白い話を探し、わたしは有意義な話を探している。

探す人は、求める人だ。

おばあさんの夫は、妻に食事と洗濯以外をもう求めなかったんだろう。




4.ずっと続く前提


何度も触れていますが、ペアが継続するってたった1つの前提があればいいと思ってる。

好みも興味も何もかもがまったく違っても、ケンカばかりしても、継続する条件ってある。

それは、たった1点、相手に対する尊敬がある、ということでしょう。



外見、知性やお金や健康、そして思いやり、ユーモアを相手が持っていても、続かない。

一瞬にして、軽蔑、嫌悪があなたを乗っ取ってしまうから。

有利な条件がフルセット揃っていても、かなり続けられない。やっぱり他人だから。

もし損得勘定で割り切れるなら形式的には続くだろう。けど、そこに会話は起こらない。



続くのは、相手を1点でリスペクトしているからだと思う。

この人、ダメダメなんだけど、ほんとに優しいのとか、

どうしようもなく不器用だけど、自分をとことん誤魔化さずに誠実であろうとするとか。

もし、尊敬できる1点があるのなら、そこが担保する。

それは相手があなたに与えてくれるものではないからです。

あなたが相手に信を置くのですから、相手に依存しないモノなのです。



わたしの自慢話のように聞こえたでしょうが、

わたしはかのじょが、わたしに依存しないということで話を締めくくりたい。


出来ないことがいっぱいで、いつもポカばかりしている人。

目がずれるから文字が読めないし、右手と左手の対応速度がぜんぜん違う。

目の前のことしか集中できない人。(ADHDでしょう)

でも、経済的にも精神的にもわたしに依存しようとはしないのです。

わたしに、期待というものをしない。

自分にできることをしている。面白いことを探してはこころ慰めている。

かのじょは、究極、自分が絶対の孤独であることを理解している。

誰かで、あるいは外のモノでその孤独を埋め合わせることはできないと知っている。


わたしたちがラブラブなのでもなく、相性が良かったからでもない。

わたしは身に帯びた孤独を精一杯生きようといつも諦めない人をどうしても尊敬してしまう。

しかも、こうしてネタまで運んでくれる。


 

かのじょのお孫さんの写真。きっと似ている。

 

 

 



暑いっ。まだ7月なのに辛い。

気が付くと、セミが鳴いていない。

書いてるのに心がこもっていない。

ああ、、誰が書いたかはどうでもいいような記事を書いている気もするほろほろ。




1.辛い話


最近の推しは、若い作家の岸田奈美さん。

ちょっと前のトークイベントで、彼女は所属するコルクの佐渡島さんからもらった言葉を紹介した。


「その人にしかない感情を書けるのが作家」

「1人歩きする記事(考察モノとか。誰が書いたかはどうでもいい記事)ではなく、あなたならではの感情、視点を加えること」


目がぴたっと止まった。わたしはとっくに理解している、つもりだった。

おお、、ぜんぜん出来ていない。悔しいっ。

もちろん、佐渡島さんは、万人にではなく、彼女に言ったのです。本来できるであろう人に。



正直いえば、わたしの書く9割は、「誰が書いたかはどうでもいいような記事」ばかり。

自虐ではなく、実際、「考察モノ」が多い。

きっと、わたしは主張したい。いや、聞いて欲しいのだと思う。

ああ立派な考えだね、いやぁよく出来たねって。

若かった母は、わたしに「バカ」「バカ」とばかり言っていた。

母に反論することも思いつかず、小さなわたしはただただ悲しかった。



他人の考察モノほどつまらないものはないって、じぶんでも思う。

でも、何が辛いかって、分かっていてもそうは出来ないことってある。

無視しているんでも、さぼってるんでも、ナメているんでもない。

なぜか、ほんとにそう出来ない。

文末に”ほろほろ”と付けたがるのは、わたしのせめてのお詫びだったんだ、きっと。




2.岸田奈美



彼女がXで発振すると、こんなコメントが寄せられる。


「あなたの文章を読むと気持ちが救われる。

その行動力と健やかさやユーモアは天才だと思います。

自身や家族への将来への不安に押しつぶされそうなときに、不意にタイムラインに見るあなたのツイートで救われます。」



「久々に文章を読みたいから読む本でした。

長いこと、本は何かのために読む感じだったのでありがたいです。笑って泣いてとてもとても楽しめました。」


凄腕です。たとえば、彼女はこんな文をがりがりとあげて来る。

https://note.kishidanami.com/n/nf9ff6c1242c1


赤ベコの話なんか、ほろほろしちゃう。

https://note.kishidanami.com/n/n28c8d62e0eee


今週から彼女原作のドラマがNHKでスタートしてる。

七転八倒の人生なのですが、「もうあかん・・」という出来事を笑いに変えて生きてる。

彼女は、自身をこう紹介している。


「1991年、神戸市北区生まれ。

中学2年生のときに起業家の父が突然死、高校1年生のときに母が心臓病で車いす生活、弟が生まれつきダウン症。

認知症で荒ぶる祖母と、よく吠えるかわいい犬の梅吉も一緒に毎日が楽しい。」


もうたいへんなワケです。楽しいなんてもんじゃなく、思い詰めたらすぐ生き地獄へ。

ずっしり彼女の肩にみんなの期待やら買い物やら何やらがかかってる。

辛い目にも合って来た。始終、怒ってもいるでしょう。

高校の時だったか、付き合ってた人から言われたそうです。

「結婚したら、ずっと弟くんの面倒みないといけないなんて、無理っ」



岸田奈美さんは、弟をこよなく愛する。本の中でこんなふうに言ってる。

「弟は昔から、みんなが上手にできる大抵のことは、みんなより下手だった。

うまくしゃべれない、はやく走れない、文字を覚えられない。

それでも弟が、まったく悔しそうでも、さみしそうでもなかったのは、とにかく弟がいいやつだったからだ。(略)

そんなわけで、いいやつの弟は「競争すること」「比べられること」「ふつうでいること」から限りなく遠ざかって生きていた。

弟はいいやつとして元気に生きているだけで、世界の期待にこたえている。

本当はみんな、そうなんだけどね。」


いや、彼女自身、いいやつなんだ。その人は、先のトークイベントでこうも言ってた。


「辞書にないような感情はすべての人が持っていますが、それをいかに表現できるか。

そして、1つの記事の中で書き手の感情の変遷が1本の流れになっているかも大事です。」


そんなん無理っ。もうあかん!




3.忘れていること


星の王子さまは、言いました。

「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」


彼女が描くダウン症の弟。ほんとに、健気でかわいい。

姉が弟に注ぐ視線は、きっと自分自身への眼差しでもある。

彼女は、限りなく不器用なのです。

まるで、ADHDのように注意配分がへた。そのかわり、ものすごい集中力がある。

(わたしのパートナーがそうなので、この言い方になります)

ということで、人が普通に配慮できたりすることが出来ない、と思う。

ちょっとしたことでもめ事が起こってるはずです。

彼女自身、不用意な言葉を吐いてしまう。そして、それがとんでもないことになったりする。

実際、大好きなパパに「死んでしまえ」と言った日に父は入院しそのまま2週間後に死んでしまう。


「普通の事」ができない人だとおもう。

「普通」から除外された者は、除外されている仲間のことは良く分かる。



考察モノだったり、誰が書いたかはどうでもいいような記事を書いてはいないか?

いや、対象に強い興味があれば、わたしだって、わたしらしい文章を書いている。たまには。

でも、ただの関心程度の時もある。たいはんは。

そこにアンテナを持っていないのに、わたしは、ああだこうだと言ってしまう。

だから、「考察モノ」が多くなる。

きっと、岸田さんにだって、できないこと、興味がどうしても持てないことがあるとおもう。

彼女だって、苦手で書けない領域が山のようにあるはずだ。

でも、ある範囲なら鋭いアンテナが立つのだ。



確かにこの世には、作家が満たすべき要件なんていう無理難題をクリアできる者もいる。彼女のように。

誰が書いたかはどうでもいいような記事、を書いている者もいる。わたし。

それは、仕方無きことだ。あかんやんって、泣くしかないことだ。

作家になることだけが幸せじゃないし。

やっぱりわたしたちは、みなデコボコし向き不向きがあるんだ。

と、へこんだ時、わたしは彼のことを思う。

じぶんが忘れてる大事なことがあるっていう。




4.星の王子さま


星の王子さまのいうことは、いつもほんとです。

わたしは、わたしの細いスリットを持っていて、そこからの眺めは「わたしにしか見えない世界」です。

その狭い隙間からなら、わたしにも世界を見ることが出来る。

小さなわたしはそうして世界を確かに見ていた。

でも、わたしは子どもだったことを忘れ、傲慢にも出来ないことに進んでしまう。

出来ない・・・。

へこまないと、わたしがわたしらしく在るという点には戻れない。




そこからまた世界を見ればいいのです。

そしたら、「誰が書いたかはどうでもいいような記事」かどうかなんて、もうどうでもよくなる。

わたしは、わたしを誠実にやり切るしかないのです。

実際、彼女でさえ、「100文字で済むことを2000文字で書く」人だと自分を表現している。

最初、それは自虐的なジョークだと思った。

いや、冗談では無く、授かった狭いスリットを精いっぱい生かそうと努める言葉でしょう。

比較なんてしてる暇があったら、その細いほそいスリットから凝視しないといけないと。


「大切なものは、目に見えない」と王子さまは言った。

普段、くらくらし、よろよろしながら、生きている。

ある時、こんなに暑いのにセミが鳴いていないと気が付く。

いや、この胸にいる。

そう思い出したとたん、どこかで微かにセミの鳴いてたことに気づく。

セミはいつだっている。

大勢鳴かないと気が付かないわたしは、こころ弱ってたんだ。

と、ようやく気を取り直した。




P.S.


しし座です。もうすぐ誕生日が来ます。毎年、わたしから母に電話する。

母は小さなわたしに「バカ」「バカ」とばかり言ってた。

始終、お尻を叩かれた。ひどい母。

でも、電話の最後にわたしは言うのです。

産んでくれてありがとうございます、と。

それは、産みだした者への感謝ではなくて、きっと仲間への声掛けなのです。



慣れない大家族の農家に嫁いで、不安ばかりだったでしょう。

陽が昇るまえから深夜までくたくただった。

気の強い彼女は誰にも負けないとしたと思う。

姑や小姑ともめ事が絶えないし、無関心で守ってくれない夫だったし。

彼女の実母は、過酷な運命に翻弄された人でした。

安心させたいばっかりに「良い所に嫁げてわたしはしあわせよ」と娘はずっとウソを付き続けた。



わたしの母はひとりぼっちでした。

唯一当たれたのが長男のわたしだった。

もちろん、そんな気はわたしにはなかったのですが、

雪のひどく降る村で、わたしたちはペアとなり凌いだのでした。

親子であるけれど、同時にあまりに雪の降る孤立無援の世界での仲間でもあったでしょう。

お変わりありませんか?


Upした写真は岸田さんのサイトからお借りしています。ぺこっ。