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前回↓
父との最後の日。
父が穏やかな表情で窓の外を見ていた。
視線の先の、朝焼けがとてもきれいだった。
朝日が照らす庭の花も見えた。
生前母が植えた花木が咲き誇っていた。
母が亡くなってから何年も経っていたけれど、
昨年よりもきれいな気がした。
一つには、庭の手入れを昨年から年間通してがんばったのもある。雑草を刈り、花木を剪定した。
それにしても満開できれいだった。
きっと母からのプレゼントだね
朝日と花を父としばらく一緒に眺めた。
老いて憎たらしいことばかり言っていた父は、
もうまともに話すことができない。
声は小さく聞き取りにくい中、
「もう何もできなくなった」と言った。
父の手を握って、私は気の利いたことは何も言えなかった。
「うん。よかさ。」と返すのがやっとだった。
よかさ、私の大切なお父さんには違いないから。
感謝してる。
産んでくれて(産んだのは母だけど)、愛してくれてありがとう。
私がそう伝えたかった意味が父に伝わったかは分からない。
父が聞きたかった言葉になっていなかったかもしれない。
何と言ったらよかったか。
その時の私はそれが精一杯だった。
夜、父は薄れていく意識の中で私の手を一度ギュッと握った。
力は弱かったけど、私の呼びかけにしっかりと握り返した。
その手の感触は、私の記憶の中で宝物にしようと思う。
いつか忘れてしまうとしても
数時間とたたず状態は急激に悪化。
私は取り乱して訪問看護師さんに泣きながら連絡をした。
もう、できることがなかった。
時間は止まらない。わかっているけどその時を目前に冷静ではいられなかった。
実家で介護を始めわずか4日間で看取り。
余命宣告通りだった。
訪問看護師さんと、遠方から来てくれた義理の姉妹と(父にとって)孫達と、父の着替えや薄化粧などの身支度をした。
短かったけど、不甲斐ない私と不器用な父は、互いに愛しきったと思えた。
ずっと父に優しくできなかった私に、
天国にいる母と愛犬が、父と心を通わせるチャンスを私にくれたのかもしれない。
父の介護について。
忘れたくないことも忘れてしまう日が来るので、こうしてブログという形で記録できてよかった
さらに数年前にさかのぼる母の介護については思い出せないこともあるし、命日を忘れていて後から気がつくことが増えた。
記録に残す形は何でもいいんだけど、ほんの少しだけ知らない人に読んでもらえるブログってほどよくていい媒体ですね。
読んで頂く方にも感謝だし、アメブロさんにも感謝