善が悪で、悪が善、その基準が崩壊した価値観 | 自己超越から自己認識への導きサロン

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100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくりのために

みなさま、こんにちは、


わたしが、風流師匠です



私は、人の心を救済するために、自分を律しているのではありません


私は、自分にしか出来ない可能性に挑戦するために、自分を律しているだけです



わたくし風流師匠の思想・哲学は、目先の成果(己の得)を優先する社会の中で、信用(己の損)を重視した環境(人間関係)を形成する考え方です


己の欲得や己の感情を満足させるために、人を平気で傷つける乱れた社会になるほど、私の考えは人々に受け入れい状況になると、私は考えています


では、風流師匠は、己の目的を実現させるために、社会が乱れることに何とも思わない人間なのです


みなさま、こんな風流師匠を、どう思いますか?


風流師匠が目指す、お互いが信用できる環境(人間関係)とは、人を思いやる仲良しこよしの人間関係ではありません


私は自分の活動が、100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てるような、健全で正しいことが出来る社会へと発展させるためにも、甘っちょろい感情論を排除した考えを持ちます



それは、未来を守るために現在に厳しい活動です


では、私のような考えが正しいのか、それとも人の心を救済するために努力する取り組みが正しいのか、それを考察していきましょう




私がつくろうとしているネットワークをつくり、私が目指そうとしている活動を形にしている団体が、いくつかあります


しかし、このような理想を持つ活動に参加しても、その活動をする人たちの中に序列があり、陰湿なイジメのようなこともあると、よく聞きます


今まで自分の居場所がなくて苦悩した人間ですら、他人よりも優位に立ちたいと思う意識があるため、自分が人よりも優位な立場になったときに、そのポジションを取られないように、人を阻害した行動を取るのです


要するに、その活動の主催者が、善意の気持ちでスタートさせた活動では、この悪しき人間の意識を排除した環境(人間関係)を形成させることは出来ないのです


私の場合は、人の心の救済と言う善意がないため、まずは人の悪しき意識を排除する環境(人間関係)を形成することに全力を注ぐのです


今回、それを詳しくお話しようと思いましたが、なんか自分が納得がいくスタイリッシュな構成で自分の考えを示すことができなかったので、詳しい説明はしません


ただ、私が15年近くの月日を費やし、ウダウダと自分の考えを深く考察していったのは、この人の悪しき意識を排除する方法に取り組んでいたのです



人の心を救済する善意な考えでスタートさせた活動だが、そこには陰湿なイジメのような嫌がらせがある環境


人の心を無視した無情な考えでスタートさせた活動だが、そこは陰湿なイジメの原因となる人に優劣をつけたがる人の意識を排除した環境


どちらの方が健全ですか??