日本人に独創的な哲学者が出ない理由 | 自己超越から自己認識への導きサロン

自己超越から自己認識への導きサロン

100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくりのために

みなさま、こんにちは、


わたしが、風流師匠です



今までの風流師匠は、100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくりを軸に、自分の考え(思想・哲学)を説明してきました


しかし最近では、この見地からでは新たな発見はありませんでした


今、風流師匠は、自分の思想・哲学が、信用を重視しない環境で、信用を優先した人間関係を築く術だと理解しました


この見地で物事を追求すると、湯水のようにさまざまな発見があります




では、今回は、前回のお話に付随して、哲学の討論についてお話しましょう


前回、私の思想・哲学に勝てる自信がある人間がいれば、いつ何時、誰の挑戦でも受けると豪語しました


ただ、その挑戦権がある人間は、たった一人の孤独との闘いに打ち勝った人間だと言いました



では、お話します


欧米社会では哲学は発展し、欧米人は討論が得意です


しかし、日本人は討論が苦手で、日本社会では哲学は発展しません



なぜか?



欧米はキリスト教国家です


それが意味するのは、欧米では、人として何が正しいのか、その人としての根本基準が明確にあります


社会とは、時代によって価値観が変わっていきます


例えば、以前にも書きましたが、近代で古代では貨幣の価値が違います


そのため、貨幣の価値が高くなった社会で、人としての根本基準を大事にした考え方や社会のあり方は何かを導き出すために、さまざまな哲学が発展するのです



では、哲学の論争とは、人としての根本基準を軸に、お互いが社会はどうあるべきか、人はどうあるべきかと言う理想を持つ人間同士が、自分の考えの正当性を主張し、相手の考えの矛盾を指摘するものです


そのため、自分の考えの悪い箇所を知ることで、より優れた考えを導き出すことができます


まずは、理想が実現するかどうかではなく、理想を目指すためにその理想の論理性や正当性を確立しなければならないのです


それが哲学であり、思想です



しかし、日本人は違います


私の経験だと、私が自分の理想を主張をすると、それは実現できないかことだと批判をするだけです


要するに、自分の理想がない人間が、自分の理想のない生き方を正当化するために、自分の理想を実現するために努力をする人間を批判するだけなのです


そこで、私が、相手の考えの悪い箇所を指摘すると、相手は感情的になり、ガキみたいに人の揚げ足を取った文句しか言わないのです


私が、こんなバカは相手にできないと困ると、相手は私のことを論破したと勝ち誇る言葉を吐くのです


ネットのような自分の言葉に責任を取らなくても良い場でしか、自分の言いたいことを言えない人間


このような人間は、討論をする以前の水準なのです


まずは、現実の世界で、堂々と自分の意見を主張し、周りの人間と闘いながらも自分の考えを曲げず、それでいてその周りの人たちとコミュニュケーションが取れる能力がなければ、私と討論をする水準ではないと言うことです


まー、今回は、最後の方は、私が示すべきことよりも、私の言いたいことを話してしまいました


文書の構成を考えないでブログを書くと、こんな感じになってしまいます


まー、ここ4年は、私の考えを批判するコメントはなくなりました


4年前までは、私が人に理解できない説明しかできなかったのでしょう