性善説、性悪説、そして憐れみの心 | 自己超越から自己認識への導きサロン

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100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくりのために

みなさま、こんにちは


わたしが、風流師匠です


いま、わたくし風流師匠は、自分の思想、哲学を分析したブログを書いています


それによって、見えたことがあったので、今回はそれを綴っていきましょう



性善説、性悪説


私は、信用を重視した社会つくりをイメージしていますが、私は人が信用できるモノだとは考えていません


だからこそ、信用できない状況の中で、どうやって信用を重視した環境をつくれば良いのか、その考え方を確立するのです


人を信用出来なくなった社会環境の中で、どうやって自分を信用してもらえる人間になれば良いのか、それを考え実践しているのです


それが、風流師匠の思想、哲学だと導き出されました




性善説とは、
人間にはもともと善の端緒がそなわっており、それを発展させれば徳性にまで達することができるとする説


性悪説とは、
人間の本性は悪であり、たゆみない努力・修養によって善の状態に達することができるとする説


要するに、
人は生まれたときは、善でも悪でもないが、その人の環境や考え方によって、善にも悪にもなると言うことでしょう



では、善を信用(物質的な損)、悪を成果(物質的な得)と考えると、この世は悪を重視する社会環境のため、人々に信用を重視した考えを求めるのは難しい


その難しいことに、風流師匠は挑戦していると言うことです



悟りの境地


私は、この難しいことに挑戦をする時間をつくるために、己の得になることよりも、自分の時間を優先するライフスタイルを、15年近く続けてきました


特に、自分の意識が改革されるときは、数か月休職をします、

なるべく外界からの影響を受けない環境をつくることで、自分自身を深く洞察する時間をつくりました


それによってわかったことは、人が心を苦悩する原因は、自分の要求や要望が満たされないからです


逆に言えば、自分の要求や要望を捨て、常に自然体で人と接することが出来れば、自分の心を乱されず生活することが出来ます


これが悟りの境地です




古代の世界と現代の世界


古代の世界は、
人々に自由はなく、物質的な魅力が乏しい社会


現代社会は、
人々は自由があり、物質的な魅力が豊かな社会



私は悟りの境地を知りました


では、古代の時代のように、人々に自由がなく、金の使いどころに乏しい世界であれば、物質的な喜びを捨て、精神的に幸福を得る生き方を追求します


社会の構造的に、努力が報われず、どんなに才能があっても自分の思い通りにならない世界で生きる人たちに、私が知った精神的な幸福を得られる考え方を普及する活動をします


しかし現代社会は、物質的には恵まれた、誰もが自由を手にした世界です


言い換えれば、どんなに悟りの境地に至っても、金を稼がなければ生活自体ができないのです



私は、世の中の真理を得るために、自分の世界に閉じこもり、答えを導き出しました


しかし生活をするためには、自分と価値観が違う外界と関わり続けれなければならないのです


古代の社会では、人生の苦悩の90%以上は、精神的な考え方で乗り越えることが出来ました


しかし現代の世界では、人生の苦悩の90%以上は、金で解決できる世界です


この現実が、キリストや釈迦の教えが軽んじられる世界になるのです


すなわち、現代人の意識には、多かれ少なかれ信用(貢献や奉仕)を大事に思う意識と、己のエゴ(要望と要求)を求める意識が混在します




人々が抱える矛盾(信用とエゴを求める意識)

社会が抱える問題(信用よりもエゴを重視する価値観)


この二つの問題が渦巻く状況で、お互いが信用を重視する関係性を築き上げるのか、その答えを導き出すのが風流師匠の思想、哲学です


このように自分自身の思想、哲学は何かを導き出していくと、私の考えを凡人には理解することは出来ないだろうな~と実感します



気付き


すると、自分の考えを批判する人間の言葉にイラっとしていたことが、凡人には理解できないから仕方がないと憐れみの心で聞くことができるようになります

それを成長といいます