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みなさま、こんにちは。
私が、世界最高の哲学者であり、史上最強の哲学者である風流師匠です。
人は、誰もが自分は正しいのかと悩みながら生きているのだと思います。
そのため、自分の考えを人から応援されたり共感されると、自分の考えは正しいんだと認識できるため嬉しくなるのでしょう。
しかし、私と一般人とは、ここが根本的に違うのです。
私は、自分が正しいと絶対の自信があります。
それは、自分が正しいと信じたことに取り組むために、自分のすべてを捨て、何年も継続して努力をしたからです。
その生き方から、私は、自分自身を信じることが出来、自分の生き方に誇りを持つことができるのです。
だから、人に自分の考えを共感されても、それほど嬉しくはないし、人に私の考えを否定されても苦にはならないのです。
自分が一番、自分の考えに納得してるからです。
最近では、ブログを通じて、誰もが自分の考えを書くことができます。
その中には、自分の生き方は正しいのか自問自答しながら生きるてる人の哲学想いが書かれたブログもあります。
私は、そのようなブログを見ると、「 そんな考えをしているから、自分の生き方に悩むんだ 」と毎回感じます。
たとえば、このようなブログがありました。
物事の善悪について、その人なりに考察をしていたブログです。
そのブロガーは、人を殺すことは悪なのかと自問自答していました。
人殺しは悪いことだが、戦争では敵を沢山殺した人間が英雄になれる。
ゆえに、何が正しくて、何が正しくないのか、善悪で物事を分けることはできないと書かれていました。
私は、このブログを見て、このような考えをしているから、自分の生き方に自信が持てない生き方になると感じます。
私が、人を殺すことで、物事の善悪を考えるとこうなります。
まず、人を殺すことは絶対に悪です。
次に考えなければならないことは、人生とは自分の思い通りにならないと言うことです。
それを理解すれば、人を殺すことは悪なのに、人を殺し合う戦争が終わらない事実も仕方がないのです。
では、ここからですよ、強い心の人間と、心の弱い人間の考え方の違いは、
心の強い人間の思考であれば、人を殺すことは人間の世界では悪なのに、その悪を肯定する戦争があるのであれば、自分はこの矛盾した事実を解消し、正しい世界をつくるために、自分には何が出来るのかを考え、自分のやるべきことを明確化するのです。
それは、たとえば、国連で働き世界平和のために努力をしたり、政治家になることで日本の力を世界平和に活用したり、はたまた戦争で被害にあう人たちに直接的に貢献をするための仕事をついたりと、自分で出来ることを探し、その仕事に就くための努力をする。
そうなれば、自分の生きる目的と目標が見つかった生き方ができるようになるのです。
万が一、努力をしても自分のなりたい仕事に就けなかったとしても、今まで培った努力を活かして、何か別の仕事に就くことが出来ます。
ね、このように、正しいことを意識した人間は自分の生きる道を導き出すことができるのです。
しかし、自分の都合の良いように、世の中を見る人間は、屁理屈をこねることで真実を歪めて、自分の生きる道を見つけ出すことができなくなり、いつまでたっても自分の生き方に悩む日々になるのです。
ここで恐ろしいのが、屁理屈をこねて自分の考え方を正当化するブログに対し、それに共感する人間が沢山いることです。
このような間違った考え方に心を共感するから、その人間たちは、いつまでたっても、自分の人生の答えが見つからず、自分が子供を育てるときに、子供の育て方がわからなくなる人間になるのだと、私は思います。
ただ私は、このような間違った考えのブログを見ても、そのブログに対しお前の考え方は間違っていると失礼なコメントはしませんし、私の考えをそのブログにコメントするような無粋なことはしません。
なぜならば、私には私の善悪の基準があります。
(100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくり=心の強い人間(子供)が育つ環境を築くことが出来るリーダー(親)の考え方)
それを、心の弱い人間の目線でブログを書く世界で、私の基準を押し付けることは、その場を利用する人たちに嫌な思いをさせることになります。
それが、その場の秩序を守るための最低限のルールですね。
だからこそ私は、私の善悪の基準で物事を語るこのブログに、私の基準とは違うコメントがあれば、それに対してはコメントをします。
私と同じ考えで話がしたいと思う人間がいたとして、その時に、私のことを理解しないで、自分の言いたいことばかり主張する人間がいたとしたら、その場は私が望む話ができない場になりますよね。
私は別に、私の考えに賛同して欲しいとは思っていません。なぜならば、私の言ってることは当たり前のことで、当たり前のことに理解できない人間には興味がないからです。
そのため、出来るだけ私の考えを人に理解できる言葉を示すことで、私の邪魔をする人間が少なくなるようにしたいと思っているのです。
だから、私のことを理解しない人間とは、徹底的に話に付き合います。