未来の子供たちのたいめに、一日一回クリックお願いします。
このブログも、一年近く続けてきましたが、昨日の一日のぺタ数が過去最高を記録しました。
これは、昨日の私が書いた複数の記事が、人々に共感していただいたからだろうと、素直に喜びます。
と、言うことで、昨日からの続きで、私にコメントをしたSさんの内容を分析することで、なぜ、非論理的な感情論をしていると子供を育てるときに悪影響になるのかを説明します。
私は、Sさんのコメントから、人間の無意識の悪しき言動を指摘しますが、これはSさん個人を攻撃するものではありません。
Sさんのコメントを分析することで、この私の記事を読んだ人々に、自分の無意識の言動を見つめなおし、己の意識を改善して欲しいと願います。
「 人の振り見て、わが振り直せ! 」です。
では、まずは、Sさんが私にコメントしてきた非論理的な感情論のコメントを掲載します。
30歳で気がついて、7年無欲で努力、へ~。
気がつく年齢が遅い!、たったの7年努力短い!
若輩者じゃん。
はじめて読む人は、このコメントが意味していることはわからないと思いますが、確実に私をコバカにしたコメントなのは、わかりますよね。
私が、この人生の羅針盤を立ち上げる前に、私には大きな不安がありました。
それは、私の考えを主張し、人々の意識を否定するようなことを書くと、読者が私に対して誹謗中傷を書き、ブログが炎上するのではないかと不安がありました。
なぜなら、私は、子育ての掲示板や教育の掲示板に参加しては、私の考えを主張し、無自覚な人間の考えを批判していました。
すると、私に批判された人間は、非論理的な感情論で私の考えを批判し、それに便乗してさまざまな人が私の言葉の揚げ足を取ったりした経験を、何度も私はしていたからです。
だから、私は、この人生の羅針盤を立ち上げるときに、読者からのコメントが掲載されないように設定しようとも考えました。
しかし、私は考えを変えて、正しいことに取り組む人間を誹謗中傷する証拠を残すことで、私の考えが正しいことだと人々に理解されたときに、私のブログこそが、無意識に人をイジメたり、歪んだ社会になる現場だと示すことができると思い、人からの批判を怖がらず、自分の考えを主張しようと思いました。
結果的には、世の中は正常な意識を持つ人が多かったので、私が思っていたようなことにはなりませんでした。
今、学校裏サイトのように、掲示板や携帯メールなどを使った陰湿なイジメが社会問題になっています。
私は、この問題を見るたびに、私のことを非論理的な感情論で批判された掲示板や、Sさんのようなコメントを思い出します。
自分の気に食わない考えに対し、無神経な表現で発言をするような大人が子供を育てるのだから、このような問題は解決されないだろうと思います。
昔、私がなかなか自分の考えを論理的に説明できなかったときは、私の考えを批判する人は沢山いました。
でも、私の考えを批判する人も、私が自分の生活を犠牲にして、正しい価値を追い求める生き方には、リスペクトをします。
私の生き方に対しては、もったいない生き方をすると意見する人はいても、批判をする人間はいなかったのです。
今回、Sさんのように、私の生き方自体を批判してきた人間は、はじめてです。
この人は、何様なのでしょうか?
なぜ、このようなコメントができるのでしょうか?
答えは、2種類あります。
一、自分の生き方を犠牲にして、正しい社会つくりをしている人間に対し何も感じること出来ない、感性が崩壊した人間。
二、私の超論理的な考えに対し、何の反論も出来ないため、何か文句を言いたくて発言をしてしまう人間。
どちらの理由にしろ、このような人間が、正しい感性を持つ心の強い人間を育てることはできません。
では、その理由を述べます。
まず、自分を犠牲にして、正しい社会つくりに取り組む人間に、人をバカにしたコメントを本気で書けるような人間が、正しい価値観を持つ、心の強い人間など育てられるわけがありません。
そして、子育てとは、親が自分の思い通りにならない子供に対し、怒りの感情を抑え接することです。
それを、ムカつくからと言って、正しいことに努力をする人間に、人をバカにするようなコメントをしてくるような人間が、自分の怒りの感情を抑え、子育てができると思いますか?
自分の感情をコントロールできない人間ほど、自分はちゃんとやっているとか、自分は正しいことをしているとか言います。
私から言わせてば、子供を虐待している親でも自分の子供は可愛いと言っているのと同じです。
自分が意識して取り組んでいることだけ覚えていて、自分が無意識に接しているときのことを自覚していないのです。
自分の感情をちゃんと抑え、正しいことをちゃんとしている人間が、自分を犠牲にして正しいことに取り組む人間を、コバカにするコメントを送信すると思いますか?
私は人生の羅針盤、第二章のプロローグで、はじめに書きました。
最大の敵は、己の心
私は言いました。
自分の感情や己の欲を忘れるぐらい、集中して物事(子育て)に取り組む人間同士は価値観を共有し合えるのです。
それは、自分の感情を抑え、正しい価値を追い求めるときの苦しさや、精神的な喜びを共感し合えるからです。
自分の感情を抑え、子育てに取り組んでいないからこそ、自分を犠牲にして正しいことに取り組む人間をコバカに出来るのです。
だからと言って、Sさんがダメな親かと言えば、そうとは言えません。
正しいことがわからず、努力をする人間を平気でコバカにする人間であっても、心の優しい良い人間を育てることは出来ます。
ただ言えることは、自分を犠牲にして、正しい価値観を求めるような、心の強い人間を育てることは不可能です。
私が目指していることは、正しい価値観を知る、心の強い人間を育てられる大人が増え、自分を犠牲にしてまで正しい価値を追い求めるわが子の生き方を理解し、応援できる親が増えるような社会を目指しています。
そのため私は、自分を犠牲にして、正しい価値をお求める人間が、金儲けできるような健全なビジネス社会を作らなければならないと思っているのです。
逆を言えば、心は優しく良い人間なんだけど、自分を犠牲に正しい価値観を追い求めることができないような心の弱い人間が、社会で活躍できない厳しい競争社会をつくりたいと思っているのです。
私の目指す社会が出来上がったときに、自分の子供はそんな社会では対応できないと思う人間は、私の考えを批判し、私の足を引っ張ればいいんじゃないんですか、と思う今日この頃です。
現代社会は、正しい人間の価値が勝つのか、弱い心の人間の価値が勝つのか、価値観の闘争です。
正しい社会をつくるためには、人の感情論よりも、物事の善悪の判断基準を共有化することが大事だと、私は考えます。