関ヶ原古戦場 西軍の陣跡へカブト

関ヶ原古戦場巡り、今回からは西軍の陣跡を


巡っていきます。



古戦場記念館で頂いた地図の左側です下差し


今回は開戦地と小西行長陣跡を投稿しますゲラゲラ

 

  ​開戦地→小西行長陣跡

関ヶ原の戦いの開戦地です。






この場所までの道は狭く、車🚙一台くらいの


道幅だったと思います。駐車場🅿️はあります。


コチラは綺麗に整備されている印象ですほっこり


開戦地から見る風景。向こうから砂煙を上げ、大軍が押し寄せる景色を想像すると怖いおーっ!


関ヶ原の戦いは、松平忠吉・井伊直政の陣営


から宇喜多秀家陣営への発砲により始まって


います(開戦の経緯は以前お話ししたので


割愛しますねパー


下差し開戦時の位置関係

 

開戦地の奥には小西行長の陣跡があります


そのまま徒歩でいけますにやり


小西行長陣跡

小西行長はキリシタン大名としても有名


ですね。もともと商人の子として生まれ、商売


として宇喜多直家のもとを訪れている時に、


直家に気に入られ家来となったようですね。


この人下差し


秀吉政権下で小豆島(香川県にある島)を任さ


れている時、同じくキリシタンである高山右近


の勧めでキリシタンとなったそうです十字架


朝鮮出兵については、文禄の役において先陣を


任されるなど秀吉の信頼も厚かった様子うーん


また明・朝鮮との和睦についても石田三成


ともに尽力したようです。


文武ともに優れた武将だったんですねガーン


因みにこの時から石田三成との距離も近く


なったようですね音譜


一方で領土問題などでソリの合わない加藤清正


など武闘派の武将とはしだいに対立するよう


になったようですドンッアセアセ

 

秀吉の死後、家康との距離も近かったようで


すが、関ヶ原の戦いでは西軍についています。


石田三成、加藤清正らとの人間関係に加え、


かつての主君である宇喜多家への恩返しの理由


もあったのでしょうかはてなマーク 因みに宇喜多秀家


かつての主君である宇喜多直家の息子で、この


時小西行長の隣に陣を構えていますにやり


※小西行長陣跡




尚、敗戦後は捕らえ六条河原にて、石田三成


や安国寺恵瓊らとともに、斬首されていますアセアセ



今回は以上になります。次回も西軍陣跡続きます。


よろしくお願いしますゲラゲラバイバイ