こんにちは😊


今回は昨年11月に内部公開された、大阪城の大手口多聞櫓と千貫櫓の様子をまとめておきます。

因みに大手口多聞櫓と千貫櫓は大阪城にある5つの現存櫓の内の2つです。


インスタでもポストしていますが、紹介しきれなかった写真なども追加しています😊


↓ 大手口多聞櫓の正面



↓ 隣の千貫櫓



①大手口多聞櫓

門を潜ります。



桝形の中はこんな感じ



桝形の奥、大門の上に跨ぐ渡櫓と右側に接続する続櫓によって構成されています。



当初の建物は1783年の落雷⚡️で全焼したそうで、現在のものは1848年に再建されたものです。


※再建前の大手口桝形(パンフレットより)


↓ 狭間から覗いてみた😄



渡櫓を潜ります

(表側)


(裏側)


多聞櫓の中に入るには有料です。

多聞櫓と千貫櫓、西の丸庭園への入場券は800円(大人)でした。

西の丸庭園から廻り、千貫櫓の前を通り、多聞櫓の中に入りました。


       ココから入りました ↓


渡櫓の内部





70畳敷を最大とする部屋が4室あります。

当日は大勢の人がおられましたが、広々としてゆったり観ることができました。


↓ 槍落とし。大門の扉を突破しようとする敵を上から攻撃。怖っ。


そのまま奥の続櫓へ。



続櫓は西(向かって右側)が武者走り(廊下)となっており、東(左側)には9畳・12畳・15畳の武者溜(部屋)が合計6室あります。

武者走りから桝形に入った敵を攻撃する仕組みで、足元には笠石銃眼が17あります。


武者溜はこんな感じ。


奥から振り返った様子。


②千貫櫓

大手口の隣に建つ2層2階の隅櫓です。

1620年の創建以来一度も焼失していない、大阪城最古の建造物だそうです。


多聞櫓を出て隣の千貫櫓へ。



左側の入り口から入ります。


中はこんな感じ。




大手口から攻め入る敵を横から攻撃できる櫓です。


↓ こんな感じ



織田信長がこの地にあった大阪本願寺(石山本願寺)を攻めた時、隅櫓からの横矢に悩まされ、兵たちの間で「千貫文の銭を出しても奪いたい櫓だ」とささやかれたことが、名前の由来だそうです。


ちなみに西の丸庭園から眺めた天守閣。

コレも普段は見れない風景です。





長くなってすみません。

お付き合い頂きありがとうございます😊