○昨日、不在届けが入ってたシーサーのカレンダーを朝から首を長くして待ってるのに来ない。
どうもまた、自動受付のピッポッパッを間違えて入れたらしい。
明日あたり着くかな。
てな訳で、カレンダーは諦めて、知り合いがオープンした下赤塚の「壺屋」と言う沖縄料理屋さんに シーサーを置く相談に行く。
ヨーコさんと言う沖縄の歌とサンシンの上手な妙齢の美女がやってらして、シーサー、赤瓦、サンシン、太鼓と話はガンガン盛り上がる。
赤瓦やシックイを都合して頂ける事になる、ありがたやありがたや。宮古の神様に感謝!
熱く島の話をして外に出たら、サムー!
年と共に暖かい気候が恋しさを増す。
人のご縁とは不思議なもので、思いもかけない繋がりから 本日、極寒の東京で、亜熱帯の宮古の話。
壺屋のご縁は、数年前にシーサーの事でNHKに出たのがきっかけ。
まぁ、そもそも私がシーサーを造るようになったのも、人のご縁からなのです。
元々は絵でも彫刻でも塑像でも版画でも、リリアンでもくちゃくちゃ何か手で作ってるのが好きで、つまんない受験勉強辞めて、美術専攻してたんだけど、まさか宮古島でシーサー造る事になるとは思わんかった。
思えばかれこれ20年程前、人に誘われて初めて宮古島に行き、そこでまたおっちょこちょいの私は、潜った事ある?と聞かれたのを、ホントーに
そのままストレートに海に潜った事の有無を聞かれたと思い、
体験ダイビングだけど、やったことある!ので、
「はい、あります。」
聞いた人はダイビングライセンス持ってるか?の意味だったんだけど。
その違いが判明した時は すでに太平洋に浮かぶダイビングボートの上でした。
ついでだけど、私は泳げない。関係ないけど自転車乗れない、カラオケ歌えない。
で、多大なる迷惑をおかけしてしまったのが、宮古のダイビングショップの老舗、ニイヨンノース。
そしてまた、そこのオーナー社長の渡真利さん。
紆余曲折あって、一ヶ月前に縫い合わせたばかりの渡真利さんの指を握り潰してしまったのですね。
ここでは、言葉の通じない水の中と言うのは思いもかけない事が起こる、とだけ書いておきます。
しばらく数年は「社長の天敵」と呼ばれてました、ワタクシ。
そうこうしながらも、ダイビングとは水中でも息が出来るのだと解った私は宮古に通い続けるのです。
ここからいよいよシーサー登場。
ある時、そのニイヨンの赤瓦オフィス完成の祝いにシーサーをあげようと言う話が持ち上がり、皆でカンパしてナニガシかを送りました。
ところがいつまでたっても、屋根の上にシーサーは現れない。
で、事情を聞いたら、渡真利さんは、ソンジョソコラにあるようなシーサーは飾りたくない、ダイビングショップなんだからダイバーのかっこのシーサーが欲しい。
それも普通の大きさじゃ、せっかくダイバーの恰好にしても、下から見たらちっこくて何だかようわからん。
で、大人がうずくまった位の(と、社長自ら屋根に上り、うずくまる)シーサーじゃなきゃダメなんだけど、宮古には当時、そんなでかい物を焼く窯はない。
だいたい、その前に、ダイバーの恰好のシーサーなんてものつくる職人がいない。
だったわけ。
でね、そこで白羽の矢がたったのが、私。
ダイビングの客の中に、調度よく彫刻やってるのがいて、これまた調度よく、子供連れで南の島に しばらく滞在するのにピッタリな事情があり(気が向いたら これもその内書きます) そしてまた、 シーサーは焼き物になる前は、シックイと瓦で屋根職人が作って、天日で乾かして仕上げた焼かない物だったと聞いて、最後のピースがパシッとはまり、子連れ滞在製作ソンジョソコラにないシーサープロジェクトスタート。
どうせなら本物のダイビングタンク乗せちゃえってんで、大きさも決定。
待ちに待った「社長の天敵」汚名返上チャンス来たる!
これが、宮古島の荷川取漁港前、ニイヨンノースの赤瓦に、今もって堂々と睨みを効かす、黄色いタンクをしっかり背負った、ソンジョソコラに無いシーサー、ダイバーらシーサー(命名、渡真利さ ん)の誕生なのだ。
コイツは結構有名で、もちろん、ソンジョソコラに無いもんだからJALの機内誌に載ったり、宮古島ガイドブックの表紙を飾ったりと中々の活躍。
いやぁ、無我夢中で100キロ強のシーサーを一ヶ月で作りました。
写真の青空を背景に、黄色いタンク背負って赤瓦にふんばってるのがそうです。
相棒の「たのシーサー」は五年前の台風14号で吹っ飛んで(だって2トントラックが転がったんだよ。風力発電の風速90メートルまで計れる大きな風車みたいのがぽっきり折れたし)、修復したけど、ダイバーらシーサーは数々の台風に耐えて十数年、変わりゆく島や人を見続けて来てるんだなァ。
ここからが リコのシーサー物語の始まり。
なんで宮古で作り続ける事になるのか、興味持ってくれた人は 明日も読んでね。
勿体振る訳じゃないけど、とっても一口で語り切れるものではないのよ。
寒い間に あったかい南の島の話も良いかも‥ですよo(^-^)o
どうもまた、自動受付のピッポッパッを間違えて入れたらしい。
明日あたり着くかな。
てな訳で、カレンダーは諦めて、知り合いがオープンした下赤塚の「壺屋」と言う沖縄料理屋さんに シーサーを置く相談に行く。
ヨーコさんと言う沖縄の歌とサンシンの上手な妙齢の美女がやってらして、シーサー、赤瓦、サンシン、太鼓と話はガンガン盛り上がる。
赤瓦やシックイを都合して頂ける事になる、ありがたやありがたや。宮古の神様に感謝!
熱く島の話をして外に出たら、サムー!
年と共に暖かい気候が恋しさを増す。
人のご縁とは不思議なもので、思いもかけない繋がりから 本日、極寒の東京で、亜熱帯の宮古の話。
壺屋のご縁は、数年前にシーサーの事でNHKに出たのがきっかけ。
まぁ、そもそも私がシーサーを造るようになったのも、人のご縁からなのです。
元々は絵でも彫刻でも塑像でも版画でも、リリアンでもくちゃくちゃ何か手で作ってるのが好きで、つまんない受験勉強辞めて、美術専攻してたんだけど、まさか宮古島でシーサー造る事になるとは思わんかった。
思えばかれこれ20年程前、人に誘われて初めて宮古島に行き、そこでまたおっちょこちょいの私は、潜った事ある?と聞かれたのを、ホントーに
そのままストレートに海に潜った事の有無を聞かれたと思い、
体験ダイビングだけど、やったことある!ので、
「はい、あります。」
聞いた人はダイビングライセンス持ってるか?の意味だったんだけど。
その違いが判明した時は すでに太平洋に浮かぶダイビングボートの上でした。
ついでだけど、私は泳げない。関係ないけど自転車乗れない、カラオケ歌えない。
で、多大なる迷惑をおかけしてしまったのが、宮古のダイビングショップの老舗、ニイヨンノース。
そしてまた、そこのオーナー社長の渡真利さん。
紆余曲折あって、一ヶ月前に縫い合わせたばかりの渡真利さんの指を握り潰してしまったのですね。
ここでは、言葉の通じない水の中と言うのは思いもかけない事が起こる、とだけ書いておきます。
しばらく数年は「社長の天敵」と呼ばれてました、ワタクシ。
そうこうしながらも、ダイビングとは水中でも息が出来るのだと解った私は宮古に通い続けるのです。
ここからいよいよシーサー登場。
ある時、そのニイヨンの赤瓦オフィス完成の祝いにシーサーをあげようと言う話が持ち上がり、皆でカンパしてナニガシかを送りました。
ところがいつまでたっても、屋根の上にシーサーは現れない。
で、事情を聞いたら、渡真利さんは、ソンジョソコラにあるようなシーサーは飾りたくない、ダイビングショップなんだからダイバーのかっこのシーサーが欲しい。
それも普通の大きさじゃ、せっかくダイバーの恰好にしても、下から見たらちっこくて何だかようわからん。
で、大人がうずくまった位の(と、社長自ら屋根に上り、うずくまる)シーサーじゃなきゃダメなんだけど、宮古には当時、そんなでかい物を焼く窯はない。
だいたい、その前に、ダイバーの恰好のシーサーなんてものつくる職人がいない。
だったわけ。
でね、そこで白羽の矢がたったのが、私。
ダイビングの客の中に、調度よく彫刻やってるのがいて、これまた調度よく、子供連れで南の島に しばらく滞在するのにピッタリな事情があり(気が向いたら これもその内書きます) そしてまた、 シーサーは焼き物になる前は、シックイと瓦で屋根職人が作って、天日で乾かして仕上げた焼かない物だったと聞いて、最後のピースがパシッとはまり、子連れ滞在製作ソンジョソコラにないシーサープロジェクトスタート。
どうせなら本物のダイビングタンク乗せちゃえってんで、大きさも決定。
待ちに待った「社長の天敵」汚名返上チャンス来たる!
これが、宮古島の荷川取漁港前、ニイヨンノースの赤瓦に、今もって堂々と睨みを効かす、黄色いタンクをしっかり背負った、ソンジョソコラに無いシーサー、ダイバーらシーサー(命名、渡真利さ ん)の誕生なのだ。
コイツは結構有名で、もちろん、ソンジョソコラに無いもんだからJALの機内誌に載ったり、宮古島ガイドブックの表紙を飾ったりと中々の活躍。
いやぁ、無我夢中で100キロ強のシーサーを一ヶ月で作りました。
写真の青空を背景に、黄色いタンク背負って赤瓦にふんばってるのがそうです。
相棒の「たのシーサー」は五年前の台風14号で吹っ飛んで(だって2トントラックが転がったんだよ。風力発電の風速90メートルまで計れる大きな風車みたいのがぽっきり折れたし)、修復したけど、ダイバーらシーサーは数々の台風に耐えて十数年、変わりゆく島や人を見続けて来てるんだなァ。
ここからが リコのシーサー物語の始まり。
なんで宮古で作り続ける事になるのか、興味持ってくれた人は 明日も読んでね。
勿体振る訳じゃないけど、とっても一口で語り切れるものではないのよ。
寒い間に あったかい南の島の話も良いかも‥ですよo(^-^)o
