もし自分だったら、なんて言葉を口からこぼす。
大抵は知っている人の不甲斐なさを攻めるときに。
道でこけた人を上から見下ろしていられるときに。
この意味なんか一つもない鈍い言葉を、僕は何度投げてきたのだろう。
「もし自分だったら」なんてくだらない、暖かさのかけらもない鈍い切れ味。
みんな、自分とは違うのだ。
当たり前に生まれた、当たり前にそれぞれの人生を生きている。
その人生には当たり前に辛いことあって、当たり前の苦労を抱えて生きている。
みんな、自分とは違うのだから。
自分とは違う選択を取ることは当たり前のはずなのに。
「多様性」を振りかざしながら、足を踏み出せないその人の個性を嗤っている自分に。
苛立っている自分に気づく。
みんな、同じではないのに。
吐いた言葉の切れ味に、確かに人を傷つけたのだと。
その人の頬にナイフを当て、さも言ってやったかのような清正とした顔で刃を滑らした自分に気がつく。
みんな、同じではないから、美しいのに。
その感触を覚えていようと思った。
吐いた言葉は飲み込めない。
行動はいつだって元には戻せないもので。
「人を傷つけた。」という事実は変わらない。
だからせめてもう間違わないようにと。
そういう自己嫌悪。