あけましておめでとうございます。


そして今年もよろしくお願いいたします。


新年はこれをやらなくてはいけないというような固定概念を取り除きたい衝動に駆られてるのですが、このブログを見ていただいてる方とのご縁を大切に、きちんと挨拶させていただきました。



初っ端からも分かるようにまぁ、へそ曲がりなやつです。


お陰で今も独身未婚です。


若い頃に飛ばしすぎたせいか、今は干物のようになっしまっています。


何となく経歴も年齢も諸々ぼかしておきたかったのですが、ここは逃げずにどうせ人もそんな見てないと踏んで、細めに書いて行こうと思います。


何も書くようなことはないのですが、書くととめどなくなってしまいそうで、読み手が面白く必要とする情報を上手く出せるのか…ここで俯瞰的に見るのはとても難易度の高い所です。


1986年、関東某所に産まれ落ちました。

御巣鷹山のほぼ10月10日後に産まれたことから、坂本九の生まれ変わりなのでは…と母から聞かされた事があります。


両親の暁闇の宴が終わり、テレビを付けたら飛行機が墜落しニュースになっていたらしいです。


同い年にはSAYAKAさん、本田圭佑、沢尻エリカなんかがいますね。


生まれて初めて歌った歌は松任谷由実の「リフレインが叫んでる」で母は松任谷由実の狂信的信者で、松任谷由実の事を少しでも懐疑的に言うと発狂していました。


幼稚園の頃に母の希望によりピアノを少し習い前ます。


時が経ち、小学3年辺りからまたピアノを習い始めますがこの頃は空前のTKブーム。


僕は小学生ながらにどハマりしておりました。


当時は月火水がソロバン、木曜日がピアノ、火曜日が習字、土日は野球をやっていましたが、放課後にジャングルジムに登って見る、所謂鼓笛隊に胸をときめかせていました。


僕は楽器希望を出す際に、第6希望くらいにあったテナーサックスに決まりました。


僕の通う小学校には木管楽器もありましたが、取り扱いが難しい為音楽倶楽部に入っている人のみという条件もあり、どんな音かも分からずにテナーサックスになってしまったのです。


それはもう、アイドルオーディションを受けるが如く運命のお相手は誰になるのか(楽器)とソワソワドキドキしておりました。


音はクラリネットとバリトンサックスがとても好きでした。


我が音楽倶楽部にはチューバが居なかったので、低音はバリトンサックスのみでした。

バスクラリネットは学校にありはしたのですが、倉庫に封印してありケースを開いてはどんな音がするのかと思いを巡らせておりました。


という背景もあり、低音の王者はバリトンサックスと信じて止まなかったのです。


後に中学ではバリトンサックスになりますが、大きく悩む事になります。


僕が吹奏楽を意識し始めた曲はスウェアリンジェンの「栄光のすべてに」でした。

素晴らしく高尚な音楽だと思い聴いていました。


その頃の顧問は去り、僕がサックスを始める頃にはおカッパ頭の学生運動あがりの鬼BBAからバチで頭を殴られながら吹奏楽を始めました。


虹のかなたに、トップオブザワールド、子像の行進、マリーズマーチ等、今振り返ってもいい曲が多かったなぁとそこは感謝です。


そして小学校6年生の頃に初めてアンサンブルコンテストに出場します。


アルト2本、テナーでエーデルワイスでした。

ゲビの銅賞でしたが、間違えずに吹けて無事に終わって本当に良かったなーという達成感で一杯でした。


というのも僕がとても下手だったというのもあります。


ところが一転、中学に入り仮入部時点で課題曲を吹きこなし「二三年生で吹いて!」と言われた時にも僕も吹いているくらい中学では入ってから即戦力として活躍するのです。


中学はアルトからバリトンまでセルマーで揃っていましたが、僕はヤマハの臭いボロボロのバリトンサックスのが好きな音でした。


中学の初の吹奏楽コンクールでは先輩が色々な学校の賞をプログラムに書き込んでる様子を見て「熱心な人だなー」と他人事のように思っていましたが、初のコンクールは県大会な初戦で銀賞でした。


アンサンブルで華麗なる銅賞受賞歴のある自分にとっては十分勝利に価しました。


中二では小編成に行き、曲もつまらなくとてもやさぐれでいましたが、中三で支部大会に進みその後引退した頃にはほぼほぼ今の自分になっていた気がします。


そして高校は厳しく全国を目指す高校ではなく、支部大会にも進みそこそこの偏差値、緩い校則の学校へ進みますが、演奏への姿勢の緩さに失望し、1年のコンクールが終わり退部してしまいます。


そしてここからバイトをし、吹奏楽コンクールのCDを買い漁り、全国大会にも見に行き、2019年まで毎年何かしらのコンクールの大会を見に行き、気になる音源は買っていました。


ちなみに、全国大会は一般の部で1回、高校の部は普門館を7回、名古屋は3回見に行きましたが、支部大会も似たような感じだと思います。


2010年辺りから、全国大会を見に行ってもつまらなく感じるようになり、そこからは惰性のように見に行ったりしていましたが、1校でもいい演奏に出会えるととても幸せでした。


全国大会に出るような演奏にガッカリする自分にもガッカリしていたのです。


コロナ禍の中で、Twitterや吹奏楽界隈も大きく変わる中で、怪しい課題曲作曲家が出て、吹奏楽村のゴタゴタにももう自分には吹奏楽はついていけないと思ってしまい、Twitterを辞める事も考え吹奏楽を過去の物にしようとしている中で、自分に似た感覚を持っている方と出会っていき今に至るといった感じです。


もう少し掘り起こすと面白かったです小話はたくさんあるのですが、あまり長くなってしまってもよくないと思いますし、ここら辺にしたいと思います。


改めまして、今年もよろしくお願いいたします☆