私はずっと自分の声が
好きではありませんでした。
「お腹から出ていない」とか
「小さくてよく聞こえない」と
言われていました。
私の声は
相手に届きにくい、と
思っていました。
ヘッドセラピーのお客様に
安心して身体を
預けていただけるような
そんな声が出せるようになったら
いいなあ、と
やっと1年が経ちました。
レッスンの一つ、
声を身体に
響かせること、が
好きです。
小さい小さい
「んー」を出すと
細かく震えるような響きが
頭から首
背骨を通って
背中、腰、
おしり、足裏と降りて
床上に波のように
広がります。
イメージで
どこまでも広がります。
地面と自分が一体になって
とても気持ち良いのです。
家族は「何やってんの?」
という目で見ますが
いいの、いいの。
気にしない。
最近、
司会やナレーションなど
声のお仕事を頼まれることが
多くなりました。
びっくりです。
有難く思う一方で
セラピーのために
始めたことなのに
セラピストから離れて
行くようで少し
不本意な気持ちがありました。
誰にでも
いろいろな面があって
その面は
ひとつではないのに
「道は一つ」
みたいな人生観に
憧れがあって
「一つの道を
すすまなければ
ならない」
「ヘッドセラピーを
極めなければならない」と
いう思い込みが
私の中に
あったのでした。
でも
ボイトレの先生から
「声で癒すこともできるんですよ」と
言われて
「そうか、そうだった!
喜んでもらえるのなら
癒しにつながるのなら
セラピーでも声でも
どっちでもいいや」と思いました。
どちらも
私を「表現する」ということ。
今は
どんなことでも
お役に立つことが出来て嬉しく
思っています。
スプツニ子!さんの
「はみだす力」
ご両親は彼女に、こう言っていた。
「人類には、
みんなで作り上げる
学問という山がある。
一人の力では、いくら
新しいことを見つけても
山の高さには積み上がらない。
これまでの歴史で
新しいことを見つけてくれた
人たちがいるから
その山はあるんだよ」
新しいことを見つけて
人類みんなで作る
学問の山がもっと高くなるように
少しでも貢献することが
父と母の望みであり
存在する意義だと
教えてくれたのだ。
ニュートンの言う「巨人の肩」は
両親の言う「学問の山」と
同じだと思う。
どんなジャンルであれ
きっと、人それぞれ
自分が貢献できる
「人類の山」がある。
きっと、人それぞれ
自分が貢献できる
「人類の山」がある。
本当にそう思う。
そして
こっちの山では土台を支え
あっちの山では
新しく積み上げることに貢献し
あるいは
新しい山を作り始める、というように
山は一つでなくても良いし
山との関わり方もいろいろあって
よいと思う。
そして、そしてね、
「え、これが?」というようなことが
山のひとつだったりします。
沢山の方に
ヘッドセラピーを受けて頂きました。
本当にありがとうございます。
ベッドに横になられてから
足にふれる時間は
コースの時間に含みません。
15分、25分は
頭だけをもみもみする時間なので
15分でもすっきりしますよ。
今回は25分コースが好評で
25分×2枠コースなど
長めのお時間もご希望頂きました。
ありがとうございました。