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私も来年は還暦の年を迎える事になった。おせっかいな私は、去年さっそく頼まれもしない事務局を請負った。別に苦もなく世話人会を招集し、式典行事会場等の段取り、先人達の資料を手中にして6回の連絡準備世話人会を行った。会の話し合いは、まず10分程度で終わる。毎回の事だが、お酒も入り、同じ様な昔話・世間話しで大半の時間を浪費する。これでいいのだと思う反面、みんなの口が閉じる事がない事に唖然とする。食べるか、飲むか、喋るか普段の鬱積が機関銃のように発射される事に、今更ながら年功という年齢を認識せざるを得ない。人の振りはよく判るというが、一方的に喋りまくって次に黙っているかと思うと、実は人の言う事は全く聞いていない。次に喋る事を想定しているだけ。何故か時々頷いている光景が非常に面白い。これで会話が成立っているよう様だが・・・。翌日、誰が何を喋ったか当然覚えていないのも納得させられる。もちろん私も含めての事だが、会話の要素として、まずは場所にいない人の陰口(悪口)を話す。次に、いかにも自分が悲劇の主人公であるかのように語る。自分が平気で人に傷つけた事は絶対に言わない、いや気がつかない。次に人に話に同調している様だが、その内は全く正反対の事を必ず思う。又、人に相談している様だが、実のところ結論ありきである。少しでも自分の言い分にそぐわないと、人に食ってかかり、仕舞には、罵倒、中傷する。友人の中に時たま使い古された親父ギャグを挟みこむ人がいる。一瞬の沈黙はあるが、まだこっちの方が面白い恐らく会話を茶化して話題を転換したいと思うのか、友人は私が思っている以上に繊細で優しい人かと勘繰りをする。わがまま(自己中)で寂しがり屋で見栄っ張り、体力も無いのに無理な運動をする(特に私の事)口先ばかりで行動しない。又、親友(心友)がいそうでいない。パソコン音痴に苦しみ、若者感覚についていけず、ぼやきと愚痴の生活習慣にどっぷりはまり始めた不健康な老人仲間に只今邁進中であります。
都市計画整備地区にかからなかった、
もしくは計画の見直しによって
残った昔ながらの古い街並みが
皮肉な事に今は木綿街道として
地域経済の活性化を担おうとしています。
しかし木綿街道に接する家屋のうち、
現代風に改修・改築された家屋も見受けられます。
そこで木綿街道の街並修景事業が行われることになりました。
当社も、木綿街道の街並修景事業の一環として
S様邸の外壁改修を9月25日から始めました。
今で言うレトロ調な商家は時代遅れと毛嫌いされました。
そして、現代家屋、商家(店舗)など何でもありの
日本独自のゴチャ混ぜデザイン住宅が乱立となりました。
斯く言う私も昔はゴチャ混ぜデザイン住宅の推進者でした。
いかにも斬新で目新しい工法に飛びつき、取り入れようと励んだものです。
日本の伝統工法・技術は
農家の住宅建築など一部しか活かされなかったかなと思います。
伝統的な入母屋作り・土壁・軒先の出・格子・なまこ壁・板壁
どれひとつとっても皆よく考えてあります。
現在は、既有建物ただ壊すのではなく
立派に残っている構造体(骨組み)を活かし
腐朽箇所を直し構造補強をしながら
そこに住む人の快適性を追求していこうと思います。