ここまでがと思う処がよくある。
そう、ここまでが・・・・・
誰にでもここまでがと思う処がある。
それ以上となると困る。
いろいろと困る。
ここまでと言葉に出さないまでも、暗に相手にも伝えることになる。
ここまでが自分の許容範囲であると。
許容範囲を超えると嫌でも行動に出ることになってしまう。
そうなのだ。
誰だって嫌なことは嫌なのだ。
我慢を超えれば反撃に出ることもある。
また反対に自分が相手を怒らしてに攻撃に遭う場合もある。
だからいつも相手のことを考え、ここまでが許容範囲と見極めることが大事だ。
そうでないと自分も相手も嫌な思いをすることになる。
でも相手の好意に甘えてしまって、つい許容範囲を超えてしまうのだ。
自分だって同じことをしている。
いい加減しろ。
もう限界だと相手に思われていることはあるだろう。
そうなってしまうと誰でも爆発する。
その爆発が怖い。
このようなことは学校でも職場でもあることだ。
いきなりの爆発は相手への甘えと、侮っていることからくるのだ。
いや人間関係だけでなく、もっと大きな国どうしでもあるし、友達どうしでもあるはずだ。
また恋人どうし、夫婦でもあるだろうし、兄弟どうしでもある。
相手のことを思いやるよりも、相手を自分に従えさせ、心も何もかも独占しょうとする考えだ。
しかしそれを悪いと思っていない人たちもいるし、国もある。
そんな馬鹿なとお思いかも知れないが、確かにそのような人たちはいる。
戦国の武将などはその典型だろうし、昔の徒弟関係もそれに似た感じだった。
それこそ白を黒と言わなければならない世界である。
今でもそのような窮屈な世界で生きている人たちはいる。
傍目からみれば理想的な職場、憧れの職場に映るのかも知れないが、実態はそれとは遠く離れた旧態依然とした職場なのかも知れない。
いや、きっとそうなのだろう。
何事も先端に行くほど先鋭化する。
しかしその場合、能力の問題が多くを占める。
何が出来て何が出来ないかが大きな問題だ。
それ以外の事柄には無頓着だ。
中には心の中にずかずかと入ってくる人もいるだろうが、このような人はどこにでもいるだろうと諦めるしかない。
問題はごく普通の私達の生活での問題だ。
逃げられない職場環境で許容範囲を超えるセクハラやパワハラが横行している。
もし逃げたとしても、その後の生活ができなくなってしまう。
しかし、それでも本当は逃げだしたい。
気持ちはその後も揺れ続ける。
だけど最終的には年齢や学歴、職歴を考えると逃げ出せない。
その結果心の病にもなる。
誰にとっても深刻な問題だ。
心の病は職場だけではなく学校でもある。
私も吃音なのでよく分かる。
何事にもちょっと相手への配慮があれば、誰も傷つくこともないのだが、わざと誰かを傷つけたい人もいる。
これだけ人権、人権と言われている時代に、平気で人を傷つけ楽しんでいる人たちがいる。
こういう人たちは自分には人権があっても、他の人達の人権には無頓着で、他人を傷つけても何ともないと思っている。
他の人たちには人権がないと思っているらしい。
これが分からない。
私の勝手な解釈だが、人権問題を持ち出す人ほど、他人の人権には配慮しない。
人権、人権と騒がなくても相手への配慮があればすむことである。
それをわざわざ人権問題を持ち出すことにとても違和感を抱く。
せっかくの人権問題が一部の人たちによって歪められていることが切ない。
またわざわざ人権問題を持ち出さなくてもすむ世界になってほしい。
それにはお互いが譲り合うことが大事だ。
一方的な被害者意識では何も生み出さない。
共存社会を本気で望んでいるなら、相手のへの配慮ができるかどうかにかかる。
それがこれから問われる時代になる。
でもこれからも誰かを貶める為だけに人権問題が使われるような気がする。
このような微妙で深刻な問題でも大きな声だけが拾われ、小さな声は無視をされ損をする。
いや、いつの世もそうかも知れない。
