マルコムXは、米国の黒人公民権運動家として波乱万丈な人生を送った。よく、種差別撤廃を訴え続けた。公民権運動家のキング牧師と比較されたが、性格や思想は正反対と言われていた。
1925年、ネブラスカ州オマハに生まれる。牧師だった父は、白人に媚びて仕事をもらうことを良しとせず、自宅敷地内に家庭菜園を作りほぼ自給自足に近い生活を送った。そのため一家はKKK(白人至上主義団体)の標的にされ、1931年、父は人種差別主義者によって殺害された。その後、母は精神を病み、9人の子供たちはそれぞれ里子に出される。
白人の上流階級の家に引き取られたマルコムは、幼い頃から優秀な成績を収めていたが高校を中退。ボストンへ移り、靴磨きの仕事に就く。その後、ニューヨークのハーレムでギャンブル、麻薬取引、売春、ゆすり、強盗に手を染めた。
20歳のときに強盗の罪で逮捕。獄中でブラック・ムスリム運動に出会う。出所後、ネーション・オブ・イスラム教団(NOI:黒人の経済的自立を目指す社会運動および白人社会への同化を拒否し、黒人の民族的優越を説く宗教運動)のスポークスマンとなり、一躍名を知られるようになる。
しかし、教団指導者が少女を強姦し子を産ませていたことが判明。マルコムはNOIに失望し、告発。教団はマルコムを暗殺しようとしたが失敗に終わる。1964年3月にキング牧師と最初で最後の対面をしている。
その後、マルコムは伝統的イスラム教に回帰、アフリカ系アメリカ人統一機構を組織するが、NOIとの緊張は増加。1965年2月、教団の暗殺指令を受けた信者により銃殺された。

マルコムは、一時キング牧師を「弱腰」と批判していたが、晩年の2人の主張や姿勢は逆転していたとされている。ボクサーのモハメド・アリは、マルコムの思想に啓蒙され、イスラム教に改宗。ベトナム戦争の徴兵令も拒否した。マルコムの死後に出版された「マルコムX自伝」は、タイム誌によって20世紀の10冊の最も重要なノンフィクションの中の一つに選ばれた。
数多くの名言や格言を残しているXですが、私の好きなものを3つ。
1
それを伝えるのがだれであろうと、私は真実の味方だ。
それに賛否を唱えるのがだれであろうと、私は正義の味方だ。
私はなによりもまず人間だ。
だから人間として、人類全体に利益をもたらすものであれば、だれにでもどんな事柄にでも味方する。
2
前科者であることは恥ではない。
犯罪者であり続けることが恥だ。
3
自由のために死ぬ覚悟がないのなら「自由」という文字を、お前の辞書から消すがいい。
私はアメリカ人ではない。
私は、アメリカニズムの犠牲者となった2,200万人の黒人の中のひとりなのだ。
民主主義の犠牲者である2,200万人の黒人の中のひとりなのだ。
