私はアホな街大阪が大好きだ。生まれ育った土地であり、精神にも身体にも大阪特有のアホな街病原菌が私には住み着いているようだ。アホな街病原菌とは大袈裟だが、どちらにしてもそれに似たようなものが住み着いている。とはいっても決してアレとは違う。熱狂的な阪神タイガースファンのように内面から表面から滲み出た強烈な異臭を放つアレとは違う。私はじんわりと秘かにそして確実にアホな街大阪を溺愛する普通の人間だと思っている、
そのことを自覚したのは、62年前の浪人2年目の年。今でもその時のこと鮮明に覚えている。私の乗った博多発の夜行急行列車が岡山県と兵庫県の県境の三石峠を越え、しばらく走ると列車が兵庫県最初の駅に止まった時だ。ドアが開き女子高生たちが数人乗り込んできた。朝の通学のようだ。彼女たちが乗り込むと同時にそれまで静かだった列車内にぺちゃくちゃと弾けるような声が飛び交った。大阪弁だ!確かに大阪弁だ。アクセントが違う。急に懐かしさが込み上げてきた。「大阪に帰って来た!」と心の中で叫ぶ。足の先から頭のてっぺんからじんわりと喜びが湧いてきた。6年間近くも離れていた大阪をここまで激しく懐かしむとは思ってなかった。私は猥雑な大阪を嫌っていた。それなのに心の底のどこかで愛していたのだ。どぶ臭く、おしゃれでない大阪を愛していたのだ。
この瞬間、6年間近くに及ぶ長い緊張が溶けた。育った所と違う異質文化で過ごし、どこか肩に力が入っていたのだ。ここ何年もほとんだ聞いていなかった大阪弁。確かにおしゃれで先進的な街、博多と比べ大阪はドン臭い。列車の彼女らはそのどん臭い大阪をしゃべっている。その大阪弁が私の大阪愛を自覚させたのだ。
私が生まれたのは大阪府泉南の岸和田。岸和田はもちろん大阪文化の大きな傘の下にある。私には大阪というドン臭くて時代遅れの文化が染みついていた。それはかなり独特な臭いだ。その臭いに接して懐かしさがこみ上げてきたことに驚くと共にほっとした。
この心の動きは一体何なのだろう。一つ心当たりがある。それは心の奥に秘めた美しい女性に会いたいという気持ち。中学校の入学式で横に並んだ彼女に一目ぼれをした。その記憶のその彼女に忘れがたいのだ。一言も告白せず福岡に転校、彼女への想いが募りに募っている。もちろんそのことだけではないが、心の奥で大阪に恋い焦がれる重要な要素の一つである。
そうはいっても、中学2年生から7年間過ごした福岡、博多の街にも青春の思い出が満ち満ちている。耳の奥に可愛く優しい博多弁の響き合っている。私にとって青春を過ごした忘れがたい街でもある。どうも私の心は大阪と博多に2層構造になっているようだ。
現在は大阪文化圏に住み、大阪のテレビ局で大阪発の番組の放送作家をしている。それも飽きもせず50年間もだ。自分でもよく続いたものだと思う。台風10号がのろのろして来るのだか来ないのだかイライラさせられる。これから『探偵!ナイトスクープ』の収録に出かける予定だが、無事収録できるか心配だ。もし収録が出来ないと放送に穴が開く。もう祈るしかない。