1974年に『霊感ヤマカン第六感』に始まった私の放送作家人生50年は、『ワイドシュー・プラスα』『アタック25』『ラブアタック』『プロポーズ大作戦』「びっくりウィークリー』『三枝の国盗りゲーム』『クイズ新幹線』(読売テレビ)『三角ゲーム・ピタゴラス』『一番星.JAPAN』『合コン!合宿!解放区』と主に朝日放送制作の番組が続き1985年10月には思い出深いバラエティ番組『夜のAタイム』を担当した。

 この番組には忘れられないコーナーがある。それは外国から来た留学生をスタジオに呼び、その国のお国ぶりを紹介するというものだ。2クール、6か月、計24人の留学生を毎回探し出して番組に協力してもらった。箕面にある留学生会館や阪大、京大などの留学生宿舎などに直接乗り込んで片言の英語で声を掛け、何月何日の朝日放送のスタジオに来てほしいと頼んだ。

 まず番組の内容を説明をしてバイト代は1万円と口頭で約束するだけ。それで誰もスッポカスことなく全員スタジオに来てくれた。初対面の外国の留学生が私の言葉を信じて全員約束を守って来てくれたのだ。日本に着てまだ2週間という人もいた。

 まず最初はトルコからの留学生で地元の民謡『ウスクダラ』をコミカルなふりをつけて熱唱してくれた。私は外国にに対する好奇心が強く、留学生の彼らに母国でどんな家に住み家族は何人で何を食べているか、電車代やタクシー代はいくらで物価はどうかなどと尋ねた。ナイジェリアからの留学生は父親は酋だといった。よく聞くと村長のようなもので村の実力者なので留学することが出来たと自慢気に話してくれた。同じアフリカのボツアナからの留学生は現地では警察官で日本に交通整理などの実務の勉強に来た。母国に帰って役立てたいと張り切っていた。またエチオピアの留学生は、名前をアベベといい。オリンピックの有名なマラソン選手と同じだが、アベベはエチオピアではよくある名前で彼とは親戚でない。そしてエチオピア文字で私の名前を書いてくれた。国によってはその国独自の文字があるのだと初めて知った。大阪大学に留学しているザイール、今のコンゴ民主共和国の留学生のアパートを訪ねた時、彼は結婚していてアフリカ人の美しい奥さんが出迎えてくれた。その時の彼女の客を迎える態度がまるで上品な日本の礼儀を教わったかのように丁寧な物腰だったので驚いた。それまでほとんど知識がなかったアフリカの未知の国にも洗練された文化、礼儀があるのだと感心した。

 その他、お隣の中国、インド、タイ、ブラジル、コロンビア、スコットランド、ユーゴスラビア、現在のスロベニアなど様々な国から来た留学生に時間の許す限り接し詳しく話を聞いた。彼らと話しているとまるでその国に行ったかのようで、その国の空気を胸いっぱい吸ったかのようで好奇心が満たされた。やはり大学卒業後、世界一周旅行に出るべきだったかと思ったりもした。