もし放送作家になっていなかったら、世界一周放浪の旅に出かけていた。1960年代後半の世界はベトナム戦争が世界を混乱に陥れ、ヒッピー文化が津波のように世界各地に押し寄せた。そんな中、大学を卒業するにあたり就職を諦め自由を求めて世界一周放浪の旅に出ることにした。だいたい4浪1留なので思うところに就職が出来ない危機感もあったが。

 しかし、下宿の友人から放送作家のバイトを勧められて放送業界に入った。お金が貯まればいつでも出発するつもりだったが、いつまでも貯まらずずるずると今日に至った。でも、一刻も世界旅行の夢想を止めたことはない。テレビの旅番組は可能な限り見ている。まるでそこに旅しているような気分になった嬉しい。見知らぬ土地の風景を見ると、私はその土地に生まれ育った人のように感じる。実際各地に旅行した時、出会う人に親近感を抱き話しかける。相手が快く対応してくれると、この上ない喜びが全身に広がる。

 昔、20代の頃だった。兵庫県北部の田舎道を歩いていると、集落から歩いて来たおばさんたちに「お、帰ってきてたんだね」と話しかけられたことがあった。きっと村の若者の誰かに似ていて間違ったんだろうと、急に嬉しくなったことを思い出す。

 『アタック25』でフランスに行った時、一日一人でノルマンディ地方のルーアンに旅したことがある。そぞろ街を歩いていると、思いがけない場面に出くわした。坂道を下りハイスクールの門の前を通りかかった時のことだ。下校の鐘が鳴り門が開き、一斉に金髪やブルネットの髪の男女の学生たちが飛び出してきた。仲良く手をつなぐ恋人同士のような二人やキャッキャッと叫びながらイケメン男子を取り囲む女の子のグループ、校門のそばではキスをする熱いカップルもいる。私は学生たちに取り囲まれ、まるでそこの学生になったような気分になって心が弾んだ。そこにはどこかの西洋絵画で見たような若々しい天国の情景が広がっていた。今でも目を閉じると、あの青春がはじけるような場面が鮮やかに蘇る。

 私は生まれ持っての旅人なのかと思うことがある。ロケハンなどの仕事で見知らぬ土地を歩いている時も、旅をしていると意識するだけで強い幸せ感に満たされる。やはり世界一周の旅に出るべきだったのではと心が痛くなることがある。でも果たしてどうだったのどろうか。もし思った通り大学出て世界一周の旅に出ていたら、もうどこかで野垂死にしているかも知れない。そうなっていても困るので、心は風に吹かれたタンポポの綿毛のように揺れ惑う。76歳になった今も。