1975年昭和50年頃は、団塊の世代が20歳代後半に突入し街にディスコに若者があふれていた。その時代に合わせたかのような若者相手の恋愛番組がぞくぞく誕生した。関テレの『パンチDEデート』朝日放送の『プロポーズ大作戦』『ラブアタック』などだ。1973年に大阪ローカルで放送を始めた『プロポーズ大作戦』には秘話がある。この番組の企画した檀上茂さんによると、ある時地方の旅館に行ったところ、女将から興味深い話を聞いた。なんでもその地方では、若い男女が旅館に集まり一風変わった見合いをするという。男女数人が2部屋に分かれ向かい合って座り雑談をする。得意なことを自慢しあったり好みなどを質問しあったりする。そして頃合いが来たら襖を閉める。次に男性はそれぞれ自分持つ色の紐を長押越しに隣の部屋に投げ入れる。女性は意中の男性の紐が飛んで来たら素早く掴む。当然取り合いになることもある。次に襖が開く。そこで男女が1本の紐で結ばれていればめでたく恋人成立。この行事は結婚相手を探すというより、多分に一夜の戯れ人を見つけるための一種の座敷遊びあったようにも聞いている。

 その『プロポーズ大作戦』が1975年12月2日より毎週火曜日に全国放送された。収録は毎週土曜日、現場で主に働いたのは、若いディレクターや年配のADや作家たち。毎週収録の上、毎週会議や打ち合わせが数回ある。視聴率は30%越えが続き大人気番組となったが、これほど拘束時間が多く、ギャラの安い番組に後にも先にもない。今でもプロデューサーに声を掛けられたとき断っておいた方が良かったと思う。とは言ってもいい思い出もたくさんある。掛け替えのない楽しい思い出もある。しかし、シナリオライターになるという肝心な思いから遠ざかってしまった。ディレクターが5年で終わると断言していたのに10年間も続くことになり将来の計画が狂った。ツルッパゲの円形脱毛症にもなり彼女にもf振られた。結局放送局の掌の上で踊らされ視聴者参加番組ばかり担当することになった。便利使いされ応用のきかない中途半端な放送作家になってしまった。世の中の流れに身を任せてばかりいたのが良くなかったのだ。そういう意味で人生は難しい。76歳になって反省している。