私が初めてテレビに関わったのは、朝日放送の『霊感ヤマカン第六感』だ。1974年10月の頃、当時まだ学生でアルバイト気分で番組の問題作りに参加した。これが放送作家の初仕事となった。

 『霊感ヤマカン第六感』は芸能人対抗のクイズ番組で、番組を企画した学生時代の友人ディレクター松本修が番組をスタートしたが、いい問題が集まらなくて悩んだ末、我々の下宿に来て、下宿人全員に高額のバイト料を出すから問題を考えてくれと頼んできた。高額という甘い言葉に惹かれて下宿人たちはなんとかひねり出して問題を作りに協力したが、一週間後彼が再び来て私だけ問題の採用率が良かったが、他はダメだったという。それ以後、私は毎回問題を出すことになり番組関係者の好評を得た。数週間後プロデューサーからレギュラー作家になって毎回会議に出席しないかと提案があり、番組に参加することになった。

 当時、大学のカメラ部に属し高性能カメラのニコンFを愛用していたので、松本修氏からスタジオにきて写真を撮らないかと勧められた。リハーサル時なら自由に撮っていいというので愛機のシャッターを次々押した。今、それらの色あせた写真を見ると昔が返ってきて懐かしさがこみ上げてくる。

 司会は野末陳平、解答者は当代一の美女の真理アンヌ、小川知子、安倍律子、それに喋りが達者なフランキー堺、藤村有弘、小松政夫、谷幹一、藤村俊二、ジュリー藤尾、宍戸錠、地元大阪代表は坂田利夫、横山ノックの面々。彼らの50年前の若く溌溂とした姿が映っている。収録スタジオに行くとそれまでテレビでしか見ることがなかった有名人が目の前にいて、少々衝撃を受けた。

 この番組は友人の松本修ディレクターが一年間東京のTBSに行き修行した結果生まれた画期的なものだった。内容はスタジオの中央に司会者、そして左右に解答者4名のチームにハの字型に座る。解答者の頭上にはそれぞれパネルが配置され、向かい合った者のパネルには連想される対の言葉がイラスト入りで示されている。お互い向かい合う相手の頭上のパネルをヒントに自分の頭上のパネルの言葉を当てる。もちろん自分の頭上のパネルは見えない。問題は「花」と「ダンコ」などの連想されるような対の言葉で、正解するとチームに点数が加算される。タレントの達者なしゃべくりだけでなく、イラストも色っぽくて番組に楽しみを添えてくれた。新人作家の私の問題が多数採用され番組に新風を吹き込み、私にはとても楽しい番組となった。

 しかし、いいことばかりでなっかた。バイト料は最初は1問採用2000円で、毎週多数採用され1万円を越える高額だったが、レギュラー作家になると放送1回あたり5000円のギャラに固定され、収入が激減した。

 実は翌春、大学を卒業後は世界一周放浪の旅を計画していたが、思惑通りに旅費がたまらず行きそびれた。そして今に至っている。人生の流れに逆らわない生き方がそうさせているのかもしれない。