2011年3月11日僕は、銀行の出張所でお金を下ろした。会社に帰ろうと、車に乗り込むと激しく揺れた。フロントガラス越しに外を見るとOL風の女性が二人、抱き合って怯えていた。
 長い揺れが収まると、会社に向かった。途中、信号は止まっていた。会社に着くと、会社の前に全員が並んで立っていた。
 「どうしたの?」尋ねる僕に「中に入れば、分かりますよ。」と答えた。事務所に入ると書庫が、全部倒れていた。工場では、加工機器は、問題は無かったが重量物以外の在庫が棚から落ちていた。
 僕は、工場の中を一巡すると、全社員を帰宅させた。一人残された工場から、別れた妻の携帯に電話を掛けた。繋がなかった。僕は、元妻の住む街まで車で向かった。途中、日が暮れた。所々停電していて、信号も動いていなかった。
 元妻の住む街は、停電してなかった。インターフォン越しに、元妻の安否を確認した。僕は、再び自分が住む街に暗闇の中、帰った。
 それからが、大変だった。街からガソリンが消えた。輪番で、電気の供給が止まった。僕は、自転車で顧客回りをした。停電を縫うように、工場の操業時間をずらした。毎日が、必死だった。事務所で、操業計画を作りながらラジオを聴いた。何故か、涙が流れた。
 あれから、一年。今は、ガソリンも電気も沢山有る。あの日が、遠い昔の様だ。だが、東北・福島では、元の生活に戻れない同胞が、沢山いる。肉親、縁者を失った同胞が沢山いる。
 僕は、被災を免れ、変わらぬ日々を過ごしている。
 僕は、今自分が生きている事、自分の仕事で生計を立てられている事を感謝している。僕は、忘れない。あの日の事を。