さて。

ようやく。

ようやくを何回繰り返したかという感じだが、もうすぐ終わる。

寒々しい冬から暑さにこたえる夏のセットを3回はループしたと思う。

(詳しい経緯はここでは割愛。「辛さの中で咲く。」を見るとだいたいわかるかと思います)


散々恨んだし、誰に話していいか分からない孤独感、どうせ話したところで理解されないだろうというもの。あきらめ。

やり返していいならとっくにやり返しているが、私的制裁は禁止されているから、はいはい。という感じ。

だから弁護士をつけて今までやっている。

引き際が分からなくはなったのはあるけど。


完全にアウトローの生き方である。

反抗した形にはなっているから、白い目で見られる立場の人だけど、仕掛けられたからやるしかありませんでした。

これに尽きてしまう。

戦争と同じですね。結局。


正直、自分よりも大人の人が権利を主張し、あーでもこうでもと論議し、決定権はなく、間に立たされたことは長引いた一因でした。

医者だってプライドがあり、弁護士だってボランティアではなく、相手にはそれぞれの立場があった。

それをわかったから、それぞれの立場を尊重するしかなかったのです。


だから、自分が一番冷静であったとは思います。


だってほら、弁護士は和解が頓挫するのを恐れて、ビクビク忖度して、医師は医師法違反だ!と相手方と関係破滅したし。

外野は、これ以上不利にならないように…とか責任放棄したりした。


綱引きしてるのは自分なのに、自分勝手なのです。

人のせいにもできないし。

これって誰のためなのか分からなくなるから、冷静に。冷静に。いることしかできず、直接不満なんて言えるわけないから感情を殺して日々を過ごすことにしました。(マイナスなこと言えば離れるのは分かっているからです)

楽しい時は楽しんだ方がいいですしね。


この間に。

つめたい…それはそれはつめたい「感情」ともいえない何か、上手くいえないモノを知りました。

火葬される前に触れた父の「冷たさ」とはまったく違うものです。

しかし、そのモノは、父のもう二度と温かさを取り戻すことができないものではありませんでした。

電子レンジのように、すぐにはあたたかくはなりませんが、時間をかければあたたかくなる。モノです。

じゃあ!いつあたたまるんだ!と言われたら、それは希望的観測です。

いつかなるよ!です。

耐えに近いので、こういうのけっこう苦手ですけどね。


メンタル弱者になった自分からしてみれば、この耐える行為はけっこうやられました。

いやいや、こたえますよ。


なんだかんだで。

結果からみれば、耐えてしまいました。

何回も諦めるチャンスはあって、これならしょうがないね。的な同情される機会はあったのに。

お父さんと同時期に自分が入院した時(メンタル的な入院ではないです)だって、一方では未解決事件を抱えていたから十分にチャンスはありました。


だからからか、よくお父さんの件を出すのは、生きるのに必死だったからかもしれません。

それくらい、一生懸命だったからです。

評価されたいんじゃないけど、勉強だってやった。

結果だって出した。

メンタルはちーん。でしたが😇



さてさて。

話を戻しますね。

もう少しで、過去の大清算(と呼んでいる)が終わります。

過去の結果を変えたら未来の結果が変わった。

なんか、あたりまえのことを言ってるように聞こえますが、なんかこれタイムトラベルみたい!と思っているんです。

暑さで頭がおかしいのかもしれませんが、シュタゲが大好きな自分からしてみれば、まさにオカリン。

なんかいいじゃん。


当日、何があるかわかりませんが(国賠の和解だけは確実)あとひとつ。と思いつつ。

でも悶々としちゃってるけどね。


自分にとってはある意味、最後の夏──

よし。大きく振りかぶってみようか。