本当は7月末にまとめて7月分として書くつもりでしたが、なにしろ内容がボリューミーなので上半期・下半期に分けてもいいかな。と思ったのです。

なので上半期版として見ていただければと思います。


ちょうど14日で2週間。

早いようで遅かった。

時計の針が止まっているのか…

そう思いました。


1日に母親が倒れてから、周りの状況は一変しました。

そして、僕のうつは悪化しました。

どちらかと言えば、今回は適応障害になります。


足が重い、食べられない、ふとした時に涙が止まらなくなる、病院にすら行きたくない…

もう八方塞がりでした。


その中で家族の心労はピークに達します。

父と兄は言い争いをしていました。

それはお母さんのこと。

その前に父はすでに苛立っていたのです。


父が苛立つ理由は、あれやこれやと親戚やら誰やらに言われてしまう、あーだ、こうだと…

でもそれは、僕も一緒でした。

なぜか、兄でなく僕に対して言ってくる。

なによりも、息子であるあなたがしっかりしてね…と。


おいおい。

なんで僕しか言ってこないんだ…

でも確かに、お母さんにも病院で会えばあなたがしっかり家計のことをみてね。って言われちゃってました😇

自分もあれやこれやで疲労はピークでした。

相当、精神疾患的にもまずい状態だったのは確かです。


そんなこんなで、父や兄が言い争いをしていたのを、僕はあまり良く捉えていませんでした。

仲介に入ろうとしたその時。

なんで勝手に会話に入るんだ!と二人の矛先は僕に向いたのです。

間が悪い、社会人として、家族だから言われているが花なんだなど、あれやこれや言われ、あなたの感じ方が悪い、あなたが悪いなどの話に飛び火しました。


心底、死にたい気分でした。

なんで。こんなに頑張っているのに。

結局、2時間くらいは言い争いが続きました。


その時の僕は、まるで映画バケモノの子に出てくる闇に飲み込まれてしまうあの感じのような、気がしました。


お母さんの分まで家事をしていたこと、就活もあったこと、他の人からの連絡など疲労要因はいっぱいありました。


だけど、家族は完全に分裂してしまったのです。

でもみんなよく頑張ったよね…って。

内圧からも外圧からも耐えたのです。



そしてなにより辛かったこと。

予想よりもお母さんの手術の時間が長かったことです。

16時間でした。


ひたすら待ちました。

まだか。まだかと。

生きた心地は正直しませんでしたね。


手術行く直前にお母さんに会った時。

お母さんは笑っていました。

こちらに手を振って…


頑張ってね。


その言葉から16時間です。

なによりもお母さんが辛い、頑張ったんだなとは思います。

よく、頑張ってくれた…って、お母さんに感謝しているんです。

1番頑張ってるのは、辛いのは本人だから。


でも、僕は思う。

なぜ、僕達は頑張ったって言われないのか。

そしてさらに頑張れって言われるのか。

お母さんに寄り添うのは当たり前。

そんなのはわかってる。


なにやってやれだのなんだの、もう十分やってきた。

もちろん、これからもやる。

当たり前のことなんだ。


深く闇に飲み込まれた僕は、なぜ?を繰り返す。そして、あれこれ言われることにひどく嫌悪してしまうのだった。


じゃあ、何をしてほしいのか。

それが分からない。

でも寄り添ってもらいたいのは確かかもしれない。


術後にお母さんに会う機会があった。

でも会わなかった。

見たくなかった。

自分も脳外科の手術を受けたことがあるので、どんな状態になるのかは、なんとなく分かっているんですね。


それで、他の人が代わりにお母さんの姿をみることになりました。

みたいって人もいたのでね。


お母さんはどういう様子だったか。

顔やらなんやらむくんでいて、腫れていて、手も触ったけど冷たかった…

って。

代わりにみた人は、とても悲しそうでした。


そりゃ。あんなに長い時間手術をしたからね…

そうはなるだろうな…と。


その時、思ったんです。

むくんで手が冷たくて意識もまだ戻ってないお母さんをみたら、きっと僕はお母さんだと認識しないって。

なぜなら、お母さんがこんなになるはずがない。と勝手に思っちゃうので。


おそらく、僕だったら横たわる物体にしかみえないんです。

誰だか分からない人の形をした物体がそこにいると。

そう思ってしまうんです。


でもそれが、きっと人の死だということ。

いつか来てしまう人の死だということなんだとなんとなく分かってしまいました。


今回、幸いにもお母さんは助かることができました。

本当に感謝です。

これからもお母さんを支えていきます。

頑張っているお母さんのためにも。

今、自分ができる範囲で自分自身も頑張っていきたいと思いました。


また、いつか元気な姿でお母さんに会うためにも。