前回の続きです!
保育園の脱走事件は別に保育園が嫌で脱走したわけではない。
ただ・・・・・・・家のトイレに行きたかっただけ(^▽^;)
何故って、多分、保育園のトイレで○○○がただた単に嫌だったたのだと思う。
自宅まで子供の足で徒歩10分程度の距離なので、帰れたしね~
そんな感じの保育園児はそのまま小学校に行っても、
朝になるといつもではないけれど、
「あたし行きたくない 」
「さみーし」
「よだきーし」(*宮崎の方言で、面倒くさいという意味。)が始まる。
当時集団登校だったため、
三学年上の姉は仕方なく妹をおいて登校しようとするが、
「いや、いかんわ(*だめだわ)、妹を学校につれていかなきゃ」と使命感に燃え、
あなたたちは先に行ってて、と言い、自宅に舞い戻ってくる。
そして、いやがる妹をなだめすかし、
なんとか行かせることに成功したり、しなかったりの日々だったらしい
お姉ちゃん大変(笑)
で、親というと行こうが行くまいがどちらでも良い様子。
今思えば、偉いなうちの親。
と思うが、
当時私は末っ子で皆に溺愛されていた上、
アトピーも有り、心臓の病気(心臓弁膜症)ということもあり、
無理をさせることがなかった。
アトピーについてはかなり激しく高学年まで続いた。
冬になるとかゆくてかゆくてかきむしって爛れていた。(一晩中かいていて大変だったと母が言っていた。)
今でも関節のところに跡が残っていて、病院も随分行ったな。
なので、制限がかかることも多く、
心臓の負担を考えて水泳等は禁止、予防接種なども出来なかった。
人並み出来ないことは子供心にさみしかった。
小学高学年になったら隣の県の大学病院で、
心臓の手術と言われていたんだけど、(実際同じ病状の同級生が大手術していた)
なんかしらんけど、治ってしまったんだよね~
病気と言われてもまあ元気だったので、
元気いっぱいお外で遊んでいたし、
子供だからかあまり気にしていなかった。
そのうち嫌だった学校も友だちがたくさん増え楽しくなり自然と行きだしたとのこと。
でもたまに遅刻はしていたな・・・
とことこ歩いていると通りすがりのお兄さんやおじさんが、
車で学校まで送ってくれた。
後で思えば何もなくて良かったけれど良い子はまねしないように(笑)
て感じの自由奔放なガキんちょっ時代。
姉に言わせると、
あんたは学校行かなくても勉強できるし、
怒られないんだよね~
わたしなんか、行ってるのに出来ないもんで逆に怒られてたわって、
(私は最初に伸びるタイプで、姉は後から伸びるタイプの子だった)
まあ、そんな調子で小学校を終え、中学に上がると部活中心ながらも成績は悪くはない。
そんな調子で受験も甘く見ていたところ高校行ったら、
数学でクラス分けがあってトップのクラスに入れずで、
自分の程度を知り(たいしたことはないんだとその時に思った)、もう勉強しなくなった(⌒-⌒; )
そこからは、勉強以外(おしゃれと色恋(言い方が古い(^^ゞ))に思いっきり関心が行き、また違う人生になった気がする。
と、話は脱戦しているような気がしますが、
小学校もそんなに行かなくて良い~かも? って話でした。
おしまい