気が付いたら 2017年も終わりです。
FBのほうには宣言をもう書いたのですが 来年から
故生田光子家政大学名誉教授のタティングレース後継者として
動き出そうと決めました。愛弟子も名乗ります。
今から20年と少し前になるのですが タティングレースでは
後継者として先生の元で指導を受けていたのです。
「鈍刀(なまくらかたな)も20年やれば焼き直しもされて
使い物になるでしょう。」とお墨付きも貰ったのが20年と少し前。
(東京家政大学としての後継者は先生より先に永眠されたそうです。)
ただ 自分の中で結果を出せてない20年という気持ちがありました。
タティングレースの世界でトップ10に選ばれても
私で良いのか?という気持ちがありましたが 年末の
阿呆すぎる事件勃発で 気持ちが変わりました。
ここまでされるなら 真剣に向き合ってみよう。
世界の「Mitsuko」からタティングレースを専門に学びましたが
学んでない人から 愛弟子とか後継者と名乗るなと言い続けられた
20年と少しは終わりにします。日本でたった一人受勲した
故生田光子家政大学名誉教授のタティングレースでの
個人レッスンを受けていたメンバーの最後の生き残りとしても頑張ります。
「 Successor of Mitsuko(光子の後継者)」と海外の先生方には
呼んで頂いていました。今回の阿呆な出来事で そこも理解。
それが欲しいが為に 勝手に私の後継者が入れ替わるなんておかしい。
そして 故生田光子家政大学名誉教授の元で授業を受け その後も
日本と台湾を行き来してタティングレースを学び 私の元でも
17年頑張ってきた楊 惠雅(keiga yang)先生が台湾での後継者です。
全く知らない人間に後継者だとか 惠雅さんに頼んでいる仕事とかを
自分に寄越せなどと意味不明すぎて理解できません。
母国語同士じゃないから通じないのかと思ったけど 通訳をいれても
通じないということは 文章の言語解釈能力欠如ということでしょう。
有名な作家さんらしいですが それだけで譲って貰えると思う方が
甘いでしょう。気は強い方では無いのですが 意思は強いのです。
