当時は、まだ今のような医療の技術は無く
とても大変だったそうです
J天堂大学のS河名誉教授が担当医師でした
赤ちゃんの頃から何度も手術を繰り返し
S河教授は我が子のように接して下さった
そうです
今から約20年前に残念ながら義兄は38歳
という若さで旅立ちましたが最後まで
本当に本当によく頑張りました
義兄の意識がなくなる数日前に
お見舞い行きました
その頃はちょうど次女に自閉症という診断
が出たばかりでしたが私は義兄のやせ細った
顔を見て心配はかけたらいけないといつもの
ように義兄を笑わせました
義兄は外の空気を吸いたいからちょっとだけ
付き合ってと私を外に連れ出し
『大丈夫か?はるちゃん何かあるな
ずっと病院にいていろんな子を見てきたから
分かるよ・・・話して・・・』
私はこれまでの事を話しました
『はるは悪くない、いろんな所で迷惑を
かけて私が悪いのは分かるけど
今はどうしていいか分からない
理解して貰えない、人の視線が怖い』
と大泣きしてしまいました
義兄は
『すべての人にはるちゃんの説明を
していくの?
全ての人に理解してもらうなんて無理だよ
俺だって理解して貰えてないよ
全然関係ない人に理解してもらったっと
したって助けてなんかくれないんだよ
そんなの何の意味があるんだよ
そんな無駄な事に時間をかけるくらいなら
他にできることがあるんじゃない?
大事なことは手を差し伸べてくれる人に
だけ,はるちゃんをわかってもらう事
なんじゃないの』
自分のことで精一杯のはずなのに私を
本気で心配してくれるなんて、すごい、
なんて人なんだと義兄の強さと優しさと
自分の弱さを知りました
それから私のスイッチが入りました
一生懸命やって非常識なら仕方ない
割り切って根性出して頑張ると
義兄に誓いました
それから数日、義兄は静かに
息を引き取りました
家族は皆、取り乱すこともなく冷静に
ただ、おつかれさまという気持ちで
お別れをしました
S河教授は昨年102歳で旅立たれた
そうです…
義兄の命を38年間守り抜いて下さった
S河教授、本当にありがとうございました
ご冥福をお祈り申し上げます🙏
最後までご覧下さりありがとうございました
あけぼの🌅