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nashikoのブログ

2010年10月から2年間、西アフリカは『ブルキナファソ』
という国で青年海外協力隊として活動します。
何があるかな~、何ができるのかな~・・・
マイペースに、ブルキナの日々を残して生きたいと思います♪♪♪

いろいろ。
そう、色々なことがありますね。
特に3月は“いろいろ”あったように思います。
直接自分の身に、というよりは主に私の周りで・・・


まずは、3月11日の東日本大震災。
突如起こったこの大地震が、1万2千人の命を奪っていった。
未だに行方不明者は1万5千人。
信じられない、信じたくないこの現実。

まさか、まさかあの日本で・・・
その時私は東北にいなかった。今もいない。
日本から遠く離れたブルキナファソでは、
被災された方の苦しみや悲しみ、恐怖、困難を
測り知り、本当に理解することはできないかもしれない。

日本がこんなに大変な時に自分はここで活動してていいのか・・・
と考えないこともない。
でも帰ったからといって一体何ができるのか。
せめてここで何か自分にできることをしたいと思い、
ただただ、ソワソワしているばかり・・・
ただただ、祈るばかり・・・



最近アフリカでも、ところどころで情勢不安が見られる。
チュニジアに端を発し、エジプト・リビアへ飛火・・・
北アフリカの情勢悪化を受け、
チュニジア・エジプトで活動していた協力隊員は日本へ一時帰国。

お隣のニジェールでは、今年アルカイダによるフランス人拉致事件が起きた。
その影響を受け、協力隊員は全員退避。
一時避難ではなく完全撤退。
安全のためとはいえ、活動の真っ最中で帰らなければならないのはすごく悔しいと思う。

これまたお隣のコートジボワールでは、
去年の11月の大統領選挙後から当選者と前大統領の間の対立で内戦が続いている。

そして、最近ブルキナでも2月終わり頃から、
学生のデモが各地で起こり学校は約1ヶ月休校。
3月後半からは、軍による威嚇射撃が各地で起こった。
大統領が軍人と話し合いの場を設け、おそらく収束へ向かうとされています。



ほんと、色々なところで色々なことが起きます。
いつ、どこで、何が、どう起こるかなんて分かったもんじゃない。

私の今までの傾向として、
緊急事態の時ほど焦って、とにかくソワソワしてしまう。
でもソワソワしていてもうまくいくもんじゃない。
こういう時こそ落ち着かなくては!


色々、予期しない出来事が起こることがある。
だから、何も起こらなかった平穏な日々がどんなに幸せなことか思い知る。

いつ、何が起こるか分からないなら、
とにかく、目の前にある『今』を、頑張るしかない。
今、自分にできることを、1歩1歩、1つずつ。

いつかその1歩1歩が実を結びますように☆


震災で被災された皆様へ、心よりお見舞い申し上げます。
自分よりもずっとずっと大変な状況にある方々に、
正直何と声をかけていいのか分かりません。
ただ、辛いけれども今を1歩1歩確かに生きてほしいです。
「辛い」一歩先にはきっと「幸せ」が待っていると信じています。


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ば日本が・・・大変なことになっています。


津波がたくさんの人をのみ込み、


被災者・行方不明者も増える一方、


原発の放射能漏れが心配され、


停電・断水、


各地で火災、


安否確認もままならない状況・・・



仙台の友達は、「とにかく現実が信じられない」と。


東京で千葉の石油コンビナートの大爆発を見た友達は、


「日本が本気で沈むかと思った」と。。。



ほんの3日前までは何ら変わりない普通の日々。


が、突如何も前触れもなく、崩れる。



ほんの1年もしてない、去年の4月まで仙台に住んでた。


協力隊に参加するのが1年遅かったら私も今、震災の真っ只中。



被災地の人たちは今、


瓦礫の下で救助を待っている人もいるかもしれない。


暖が取れず凍えそうな人もいるかもしれない。


大切な人と連絡が取れずどうしようもない不安に駆られているかもしれない。



私はたまたま、そこにいなかっただけ。


日本から遠く離れたアフリカの小さな町に住む私に、


一体何ができるのだろう・・・



「一刻も早く余震・2次災害がおさまり、


1人でも多くの人が助かることを祈る」


ことしかできないのだろうか・・・


とにかく、

希望を捨てず、未来を信じて、頑張って欲しい!!!


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アフリカにはお金も物もない。

でも、それを悲観するわけでもなく、その中で喜びを見つけて明るく生きてる。

みんな協力して助け合って生きてる。


物がないときの資源は人。

こういう時こそ、助け合ってくことが大切だと思う。


何かできることがないかな・・・


今、私は栄養回復教育センターの見学に来ている。


ここには、この地域の町や村から、

重症栄養不良児と判断された子どもとそのお母さんがやってくる。


家から通える範囲に住む人は、ここへ通っている人もいる。


だが、多くは遠くの村などに住むため、

母親と子どもが一緒に入院し、栄養回復のための治療を受ける。



入院費は、どれだけ長い期間いても2000Fcfa(=約400円)。

栄養不良児のための治療食は協力機関からの寄付らしい。

そのためか、入院費もそれほどの負担にはならない金額。



栄養不良になる原因は様々。

単に食糧不足だから、、、

お金がなくて、食べ物が買えないから、、、


ということではない。



マラリアなどの病気にかかって、急激に栄養状態が悪くなることもある。

↓ある児の成長曲線。

横軸が月齢、縦軸が体重。曲線が体重の正常値。

はじめは正常ゾーンにいたが、マラリアに罹患後、大きく、正常値を逸脱・・・


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その他の理由として私が思うに、母親の知識不足。

母乳の重要性が分からず母乳をあまり与えない。

離乳食の知識がなく栄養価が低くなる。


また、村では綺麗な水が手に入らず、

下痢を繰り返したり

お腹で寄生虫が栄養を奪うなど(?)


↓毎朝行う体重測定の様子。


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手足は“棒”です。

筋肉もなく、皮膚はシワシワ、乾燥。


何だか悲しくなります・・・



でも私は、ここで1人の女の子に出会いました。

その子は私が近づくと、そのまん丸とした大きな目で

興味深そうにこちらを見ます。

目をそらさず、ジィっと見ます。


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何だか・・・・・ハッッとした。


その目はあまりにも綺麗で純粋で・・・

その目の奥に私が写っていて・・・

何かを訴えかけられてるような気がした。


その子自身はもちろん1歳だし、何かを言おうとしたわけではないだろう。


でも、、、感じるものがあった・・・



栄養不良児は、マラリア予防対策を広げたり、

母親に母乳栄養や離乳食の知識を知ってもらったり、

衛生に関する啓発をすることで、

防げる子もたくさんいるはずである。


そう簡単でないのは分かってる。



でも、この子の大きな“目”を見て、

この子の持つ大きな未来を感じて、

この小さくて大きな“芽”を純粋に守りたい


と思った。





この子は、その後目標体重に達したため、

お母さんにおぶわれて村へ帰っていきました。


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強く、たくましく生きてね!!四つ葉のクローバー


ありがとう しあわせ