東日本大震災 引き続き応援宜しくお願いします! | 思い通りに手作りする仙台泉ブーケとギフトアレンジ・開運フラワーデザインのミントグリーン

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3月11日から間もなく、一ヶ月。

復興の兆しも見えてきましたが、
まだまだ自宅の片付けも終わらず、
避難所生活の方が大勢いらっしゃいます。

私も、お花の資材関係、
もともと倉庫状態?の部屋の
片づけは後回しで終わってません。

リビングやで壊れたアレンジや寄せ植え、
キッチンで割れた食器の破片、
そうしたごみも出せずにひとまとめに置かれています。

母の日を一カ月後に控えて、
そろそろ片づけして、すこしずつアレンジ作りも
始めたいと思っていますが・・・。

一昨日まで断水だったので、
貯水しているボトルやタンクが
キッチンや洗面所に置かれたまま。
(いつ、また大きな余震が来るかわからないので
当分このままに)

原発の件も、予断を許さない状況なので、
またいつ避難してもいいように、
持ち出し用の荷物をまとめて置いているので、
家の中はハッキリ言って、
綺麗な状態とは言えません。

でも、ほぼ以前の生活に戻りつつありました。


大地震の後、約一ヶ月後、半年、1年と言った周期で
大きな余震が来ると言われています。

震度5クラスの余震は覚悟していたので、
昨夜遅く、揺れが始まったときには、
「来た!」
そう感じました。

2階の子供部屋に声をかけ、
降りてきた子供たちに、
「ここにいる?」そう訊ねましたが、
いわき震度4とテレビで確認すると、
「水出る?出るならいいや。
明日学校だから、部屋で寝る」
と、行ってしまいました。

母、動悸が止まらないのに・・・
子供たち、妙に冷静。

すぐに、それぞれに実家に電話しましたがつながらず。
携帯メールに切り替えたところ、
間もなく、妹から
「皆、無事」との返信が。

夫の実家は連絡が取れませんでしたが、
この時間はきっと就寝中。
寝室は倒れてくるものは無かったことを
先日、訪ねたときに確信してあるので、
向こうからの連絡を待つことに。

それからすぐにツイッターで仲間の安否確認&情報収集。
やはり、皆、水を心配している様子。
我が家も、やっと水道が出るようになったばかりでしたので、
まずは浴槽に水をはりました。


3月11日のあの晩も、
真っ先に頭に浮かんだのが、
阪神淡路大震災後の断水。
「コップ一杯の水で顔を洗い、
口をすすぐ生活だった・・・」
被災者の体験談が頭に浮かびました。

我が家は、まだ水が出ていたので
浴槽に水をはり、
お湯を沸かしてポットに移し、
やかんに水を入れて就寝しました。

翌朝から、我が家は断水していました。

午前中の早い時間に、前日連絡が取れず行けなかった、
子供たちのlaboのチューター宅を訪ね、安否確認。
チューター宅も、断水しているとのことで、
水汲みに行こうとしていました。
近くで水が汲めることを、この時教えてもらいました。

この時に、断水生活が一週間は続く予感がしたので、
給水に行くにも水は重いので、絶対に車は必要になると、
すぐに家に戻らず、給油できる場所を探しました。

我が家から一番近いガソリンスタンドは、
上から大きな照明器具が落ちてガラスが粉々になり
とても給油できないだろうことを見ていたので、
テューター宅から近いガソリンスタンドで満タン給油。

それから、家に戻り水筒をかき集め、
バケツとスチロール箱に未使用の大きなポリ袋を入れて、
17年前、名古屋在住の頃、夏場の渇水による断水に備えて
購入したポリタンクを持って、
教えていただいた、公園の水道に向かいました。
(翌日には、この場所は自衛隊の活動拠点になり
一般使用は出来なくなりました)


3月11日
たまたま、我が家は、家屋の損傷はなく、
家財の被害だけで済み
ほんの一瞬停電したものの、
すぐに元に戻り、ガスも大丈夫でした。

水は一カ月近く、断水しましたが
PC回線、携帯、つながりにくい状況が続いたものの
どちらかが、つながる状態で過ごせ、
一番欲しい情報も入って来ました。

本当に、ありがたい偶然が重なり
このひと月を過ごすことができました。

でも、被災地において、私のように過ごせた人たちは
一部です。


今も、先の見えない不安と闘いながら、家も財産も全て失い
避難所生活を送っている方が大勢います。


そこへ、夕べの大きな余震。

昨日、訊ねた避難所の多くの方々は、
きっと私以上に不安で眠れなかったことでしょう。
津波注意報が解除されるまでの2時間余り、
泥に埋もれた、想い出の家財道具を探し出せぬまま、
再び、全てが流されてしまうのではないか・・・
そんな不安があったことでしょう。



今朝、震度6だった塩竃の実家にいる
妹から状況を聞くことができました。

停電しており、携帯のバッテリーも不安がある。
ガスも数日前に供給再開されたばかりだが、
再び止まったこと。
水道も、濁り水が出て、ついに止まってしまったこと。

家の中の状況は、3月11日以上にモノが散乱したこと。
家具の破損も大きかったこと。
翌朝に備えて準備していた、水を入れたポットや鍋、
炊飯器もひっくり返り、中のご飯もすべて床に散らばってしまったこと。

「どうしようもないけど、なんとかするわ」
そう気丈に言って、電話を切りました。


おそらく、今回のような余震は、
今後も周期的に起こるのではないかと思います。

せっかく復旧したものが、またストップしてしまう。
片づけたのに、またやり直し・・・。

精神的に、キツイ状態が続くと思います。


どうか、被災地以外にお住まいの方々へお願いします。

まだ、まだ、皆様のご支援が必要です!

これからも、引き続き、応援宜しくお願い致します!


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