おかしいんだ。

…まるで、自分が自分じゃないみたいで怖いんだ。

これが【本性】と言われるのならば、そうなのだろう…。

これが【豹変】したと言われるなら、きっとそうなのだろう…。

 

テンションのジェットコースターと言う名の≪躁鬱≫と

何もしたく無い、何も感じないような≪虚無≫が日によって幾度となく私の身体を蝕んで…私の身体に、私の知らない人間がいるみたいで…気持ちが悪い。

 

きっと、私の情緒はボロボロなんだろう。

 

何かストレスを感じた瞬間にスマホを投げたり、机にある物を全て床に落としていったり…近所迷惑等のトラブルにも発展しかねない事柄が、ここ最近頻繁にある…。

特に、現実に目を向けた時や…親とのトラブルが起きた時‥‥。

 

深呼吸する間も無いくらいに、感情をぶつけて…それを拾いに行く間で一呼吸を置きながら傷心し、定位置に置いた途端…そのストレスの対象に対する暴言を吐いたり…自分を慰める言葉を呟いたり、脳で整理したりな、、そんな日々。

 

前の記事で話した言葉覚えていますか?

 

この世界を生きる

「これだけは見失わないようにしていきたいと思う。」

 

という言葉を…。

あんな風に考えれるのはいつだって、躁状態になって…多少でもこの世界に対しての希望を抱いてる時です。

 

今の私は…

【死ねば解放される】

という、本当に真逆の言葉が出てしまう…。

 

自分の中に、もう一人自分が居る…。

しかも…その自分同士が喧嘩し合っている。

 

私は≪表裏一体≫になる事ができないんだ。

 

どんな面でも「私は私」と考えられたなら…どれだけ楽か…。

どんな私でも愛する事ができたなら…どれだけ生きやすくなれるか…。

 

私は生きるのが下手だ。

全ての「私」を愛して、抱き締めて、生きてみたい。

「よく頑張ったね」と、今までの事を沢山励ましてあげたい。

「生きるだけでもやってみよう?」と、多少でも鼓舞してあげたい。

 

それなのに

「私」は、なかなか受け入れてくれない…。

 

ずっと、、ずっと、、、そんなジレンマに駆られて…。

私は、今日も脳内で戦争をしてしまうんだ。

 

自分の事はどうでも良かった。

私は、他人を助けることができたら…それだけで良かった。

 

だから私は、ネットで出会った人たちを大切にするし、悩み相談とかも沢山聞いてあげていた‥‥。

でも…私からは決して悩みを切り出せなかった。

 

何度だって

「無理しないで」と

「悩みがあれば聞くよ」と

そう言って貰えていたのに‥‥

 

「ありがとう」と返事して

碌に相談せずにため込んだ。

 

うつ病になるまで、、それに気づけなかった…。

 

私は本当に…生きていて良いのだろうか?

消えたら、親は私がうつ病な事を信じてくれるだろうか?

死んだら、私の為に泣いてくれる人は居るだろうか?

 

でも実行できる程の勇気が無いから、結局やらない。

やれないんだ。

 

だからズルズル生きている。

 

こんな人間でも生きている。

 

「死にたい」は悪い事じゃない。

「生きたい」に無理矢理変えようとする必要だって無い。

ズルズルと微睡みの中生きて、その先に小さな幸運を見つけたら、その奇跡に気づく事ができるようになるのかもしれないし…。

はたまた、ユリイ・カノンさんの楽曲にもある「誰かの心臓になれたなら」というタイトルのように…周りの誰かの心に触れて、共感してあげて、その人の心を救う一人になるかもしれない、、。

 

うつ病になったとしても…

きっと悪い事ばかりじゃないよ。

 

私は今も尚

「死にたい」と「生きたい」の狭間で戦っています…。

きっとこの戦いに、決着が付くことは無いでしょう…。

 

でも、、、這い蹲るように生きていたとしても、

「私」という存在自体を愛せるようになっていけたなら…

 

自ずと「生きてみたい」に変わる日が来るのかもしれませんね。

 

大丈夫。

私が傍に居る。

 

今は、泣いても良いんだよ。

 

枕を濡らす夜だって、、

 

私は美しいと、そう思うから。