昨日、大学同窓会の幹事会があり、その後大先輩(S39年卒)と、とある飲み屋さんで店の親方を交えていろいろ話して思うところがあり、書き留めておこうと思った次第である。
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この星が何処へ行こうとしてるのか
もう誰にもわからない
権力と権力のsee-saw-gameから
降りることさえ出来ない
人は一瞬の刹那に生きる
子供は夢見ることを知らない
・・・
昨日の絵具で破れたキャンバスに
明日を描く愚かな人
売れるものならどんなものでも売る
それを支える欲望
恐れを知らぬ自惚れた人は
宇宙の力を悪魔に変えた
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1982年に発表された浜田省吾の曲です。
実はリアルタイムでは聴いてないけど、学生時代結構ハマショーは好んで聴いてたため、未だに頭に残ってる曲の一つです。
他にも現代を語ってる曲は結構あると思うけど、特にこの曲は最近の日本のあり方を見直すのにしっくり来る気がします。
力と力のシーソーゲームから一旦は降りようとした(降ろされた?)憲法9条“戦争の放棄”。
その“放棄”を放棄しようとしている、現政権。
別に、その政権を批判する気も、それを批判している政党を応援しようというのでもない。(まあ、自分の態度ははっきりさせるべきなんだろうけど、とりあえずはおいといて…。)
綺麗ごとと言われるかもしれないけど、全ての国が“戦争の放棄”を行なえば、戦いは起こらないのかもしれない。(実際、そんなの不可能な気もするが…。)
でも、放棄しようとしない限りは、結局チカラとチカラを競い合って、より大きな力を誇示したものが勝ち!って答えしか残らないような気がする。
そして、その大きな力は、、現段階の技術で行けば、より大きな“核”によるチカラの誇示を意味する。
この辺で、その連鎖を切らないと世界中が本当に泥沼だ。
そのシーソーゲームにもう一度日本は自ら参加しようと言うのだから驚きだ。
もしくは、いつまでも近隣の軍隊を持つ国に好きなことを言われ続けるのか?
または、“戦争の放棄”をしたままで、分かり合う方法があるのか?
そんなの、身の回りの人とでさえ分かり合えることなんてないのに無理な気もする。
よくわからない…。
でも、アメリカから与えられた当時最先端の(?)思想の“日本国憲法”を自分達で議論して、見つめ直す時期には来ているのだろう。
なので、7月の参院選がどうのこうのというのは抜きにして、ちゃんと議論してくれないものだろうか?
(肝心なところは他人任せ)
