Shinto religion
来年からどう過ごすか…大学5年生を決意してから早1年。
様々な可能性を模索してきましたが、ようやく1つの道が開けたようです。
國學院大學神道文化学部神道文化学科への学士入学試験をパスしました(゚-゜*)
国内に2つある、神道の専門的な勉強ができる学校の内の1つが、國學院なんです。
いやぁ~…来年ニートってのは回避されました。正直それも悪くはないんですけどね…
とにかく大学卒業に向けて、より励みになったのが1番'`,、(∀`)'`,、
卒業できなかったら、潔くニートする覚悟もなぜかできました(笑)
いくら学士入学試験とはいえ、中学以来ずっと受験ってものとは縁遠い、
学術的にぬるま湯な生活を送っていたもので、かなり不安でした。
そんな中でもずっと興味の絶えなかったSpiritualityや神道との縁ができました。
Good evening♪∀⊥ですm(。_。)m
∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥
きっとこの先、日本社会どころか人類規模でSpiritualityが大きな意味を持つ。
何となく続いていた直観があったので、専門的に大学で勉強する機会ができて嬉しいです♪
大げさに言っていますが、歴史を振り返っても大きな局面(革命や紛争)で、
宗教は大きな意味を持っていました。もう宗教ってことばだけでは括りきれないほど。
例を挙げてみましょうか…織田信長は功利主義者で、宗教とは無縁な印象ですが、
実は非常に篤い信仰心を持っていたというのはご存知ですか?
上に立つ者としての不安なのか、戦国時代という一寸先は闇の世を憂いてか…
蛇神信仰とも言われていますが、日本神話のスサノオ(須左之男)を信仰していたとも。
第六天魔王信長と名乗り、祖先が剱神社の神官だったと言われているコトをみると、
宗教との関わりがお分かりいただけると思います。
その反面で、病に伏せた父のために大金を積んで加持祈祷を行わせたが、甲斐なく他界したため、
お坊さん達を殺して、例の寺を焼き払ったそうです。(神仏習合も確認できるエピソード)
∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥
日本では一時期、神道と仏教が融合していました。山を互いに大事にするところから、山伏も誕生。
上にもちらっと書いた神仏習合です。そんな時期を経たから、
年末年始は神社へお参りして、誰かが亡くなるとお経を読んでお墓はお寺に…
というシンクレティズム、重層信仰が日本の宗教の大きな特徴となりました。
さらに近代以降、日本では様々な『新宗教』(主なものとしては金光教や天理教、創価学会など)
が台頭してきました。それは神そのものへの崇拝というよりは、
神がかり(宗教体験)した『人』がその対象となってきました。
しばしば教祖が生神、生仏として崇拝されます。
日本人は宗教ということばを忌み嫌う傾向が強いですが、本来的には、
そうではないと僕は思います。傾倒する人が多いというのも、否めない事実。
さらに神仏習合どころか結婚式はキリスト教式が多いですし…無関係っていう方が無理な気がします。
日本に古来から存在する神道の根本にあるのは自然への畏敬と、祖先神への尊崇。
自然が厳しく(火山や地震)他民族との交流はおろか、
旅には過酷な山登りが付きまとう、島国らしい宗教ではないでしょうか。
∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥
ざっと神道について紹介しましたが、その神道がなぜ必要になると思うかですよね…
その理由は現代の日本社会における、様々な面での崩壊にあります。
社会制度や経済体制もそうですが、注目すべきはその背景。
有名大学に入って一流企業に就職、結婚してマイホームを持つのが誉れだという感覚って、
今の同世代の中では持っている人の方が少ないのではないでしょうか?
少ないからこそ、そう思う人は夢として語るのかも知れませんね。
昔は社会全体がそれを求めていた傾向もあり(高度経済成長期)
意識どころか強迫観念に近いものとして、それが1番名誉なコトだという感覚があったのだと思います。
親や親戚にヒアリングをしていて、そういう印象を受けました。
そんな物質社会が、明らかに終わりを迎えています。
目に見えるものから、目に見えないものへと人々の関心がうつってきている。
Spiritualityという領域が、注目を浴びたコトからも分かりますよね。
神話的に存在していた理想の人生という概念が消え、理想とする人生が多様化していく中、
何を信じていいか見当がつかないという人は…
神道の宗教本を開いてみてはいかがでしょうか。何も生活において制限はありません。
触れていると、感謝の精神にも出会います。
信長のように極端な信仰にはあまり賛成できませんが、
信じているからこその焼き討ちだったのでしょう。
昔は山を伐採した時、木の先端と根っこは山の神様へと奉っていました。
祖先を大事にするというのは習俗として、文化としてまだ根付いていますが、
自然や、それこそ限られた資源に対しての感謝の気持ちも忘れたくないものですね。
∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥
早くも神道文化学部生気取りな文章を書いてしまいました(笑)
新社会人には安定志向が多いというのも、今の背景を考えれば納得…
何をしようとも不安がなくなるコトはないでしょうが、
それぞれが納得して生きていけるコトを望みます。
様々な可能性を模索してきましたが、ようやく1つの道が開けたようです。
國學院大學神道文化学部神道文化学科への学士入学試験をパスしました(゚-゜*)
国内に2つある、神道の専門的な勉強ができる学校の内の1つが、國學院なんです。
いやぁ~…来年ニートってのは回避されました。正直それも悪くはないんですけどね…
とにかく大学卒業に向けて、より励みになったのが1番'`,、(∀`)'`,、
卒業できなかったら、潔くニートする覚悟もなぜかできました(笑)
いくら学士入学試験とはいえ、中学以来ずっと受験ってものとは縁遠い、
学術的にぬるま湯な生活を送っていたもので、かなり不安でした。
そんな中でもずっと興味の絶えなかったSpiritualityや神道との縁ができました。
Good evening♪∀⊥ですm(。_。)m
∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥
きっとこの先、日本社会どころか人類規模でSpiritualityが大きな意味を持つ。
何となく続いていた直観があったので、専門的に大学で勉強する機会ができて嬉しいです♪
大げさに言っていますが、歴史を振り返っても大きな局面(革命や紛争)で、
宗教は大きな意味を持っていました。もう宗教ってことばだけでは括りきれないほど。
例を挙げてみましょうか…織田信長は功利主義者で、宗教とは無縁な印象ですが、
実は非常に篤い信仰心を持っていたというのはご存知ですか?
上に立つ者としての不安なのか、戦国時代という一寸先は闇の世を憂いてか…
蛇神信仰とも言われていますが、日本神話のスサノオ(須左之男)を信仰していたとも。
第六天魔王信長と名乗り、祖先が剱神社の神官だったと言われているコトをみると、
宗教との関わりがお分かりいただけると思います。
その反面で、病に伏せた父のために大金を積んで加持祈祷を行わせたが、甲斐なく他界したため、
お坊さん達を殺して、例の寺を焼き払ったそうです。(神仏習合も確認できるエピソード)
∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥
日本では一時期、神道と仏教が融合していました。山を互いに大事にするところから、山伏も誕生。
上にもちらっと書いた神仏習合です。そんな時期を経たから、
年末年始は神社へお参りして、誰かが亡くなるとお経を読んでお墓はお寺に…
というシンクレティズム、重層信仰が日本の宗教の大きな特徴となりました。
さらに近代以降、日本では様々な『新宗教』(主なものとしては金光教や天理教、創価学会など)
が台頭してきました。それは神そのものへの崇拝というよりは、
神がかり(宗教体験)した『人』がその対象となってきました。
しばしば教祖が生神、生仏として崇拝されます。
日本人は宗教ということばを忌み嫌う傾向が強いですが、本来的には、
そうではないと僕は思います。傾倒する人が多いというのも、否めない事実。
さらに神仏習合どころか結婚式はキリスト教式が多いですし…無関係っていう方が無理な気がします。
日本に古来から存在する神道の根本にあるのは自然への畏敬と、祖先神への尊崇。
自然が厳しく(火山や地震)他民族との交流はおろか、
旅には過酷な山登りが付きまとう、島国らしい宗教ではないでしょうか。
∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥
ざっと神道について紹介しましたが、その神道がなぜ必要になると思うかですよね…
その理由は現代の日本社会における、様々な面での崩壊にあります。
社会制度や経済体制もそうですが、注目すべきはその背景。
有名大学に入って一流企業に就職、結婚してマイホームを持つのが誉れだという感覚って、
今の同世代の中では持っている人の方が少ないのではないでしょうか?
少ないからこそ、そう思う人は夢として語るのかも知れませんね。
昔は社会全体がそれを求めていた傾向もあり(高度経済成長期)
意識どころか強迫観念に近いものとして、それが1番名誉なコトだという感覚があったのだと思います。
親や親戚にヒアリングをしていて、そういう印象を受けました。
そんな物質社会が、明らかに終わりを迎えています。
目に見えるものから、目に見えないものへと人々の関心がうつってきている。
Spiritualityという領域が、注目を浴びたコトからも分かりますよね。
神話的に存在していた理想の人生という概念が消え、理想とする人生が多様化していく中、
何を信じていいか見当がつかないという人は…
神道の宗教本を開いてみてはいかがでしょうか。何も生活において制限はありません。
触れていると、感謝の精神にも出会います。
信長のように極端な信仰にはあまり賛成できませんが、
信じているからこその焼き討ちだったのでしょう。
昔は山を伐採した時、木の先端と根っこは山の神様へと奉っていました。
祖先を大事にするというのは習俗として、文化としてまだ根付いていますが、
自然や、それこそ限られた資源に対しての感謝の気持ちも忘れたくないものですね。
∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥∀⊥
早くも神道文化学部生気取りな文章を書いてしまいました(笑)
新社会人には安定志向が多いというのも、今の背景を考えれば納得…
何をしようとも不安がなくなるコトはないでしょうが、
それぞれが納得して生きていけるコトを望みます。