2020年6月24日(水)曇り




愛知県碧南市尾城町2丁目

鷲塚村は永禄4年(1561年)まで、吉良氏の支配を受けていたが、吉良義昭が藤波畷の戦いにおいて徳川家康に敗れると、岡崎の徳川家康の支配地に変わった。
永禄5年(1562年)徳川家康の命により、築城された。

刈屋城主水野忠政の九男・水野忠重は、三河一向一揆の功績により、永禄7年(1564年)に鷲塚城主に任ぜられた。

水野忠重が鷲塚城主を務めたのは天正8年(1580年)まで。
同年、織田信長家臣の佐久間信盛が追放されて、三河刈屋城も没収されると、忠重は信長より刈屋城を与えられた。
その後、鷲塚城は天正18年(1590年)まで代官が置かれていたが、以後は廃城となった。