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自分が自分であるために

ちょっとダメっぽいお人好し(^w^)

まあ、そんな人生も悪くないや。

楽しくない事が本当に多くなってしまったけど、

少しは自分を大切にしようと思います。

そんな僕の備忘録です。

もう7月も半ば。

毎日暑すぎるわムキー
倉庫の中でフラフラになるわー❗

今日は本業に必要な知識のまとめに時間を
かなり費やした。

色々諸都合あって、室町時代のまとめをやっていて、次は戻って鎌倉時代のまとめに入ろうとしていた。

しかし、室町時代と戦国時代、安土桃山時代の境目を変更する事にしたため、作業やり直しになったえーん

本筋は沢山の学者さんの本にある通りにするのだけども、自分の意見が入らないと面白くないので、
勝手ながら、足利義昭が征夷大将軍の位を正式に変換するところまでを室町時代とした場合の検証をする事にした。

かなり無理がある……(笑)
まあやってみないと分からないし、納得したいからいいのだニヤリ

足利義昭が征夷大将軍を辞したのは1588年と言われており、豊臣秀吉が小田原征伐と奥州仕置をしたのが1590年と言われているから、まあ無茶苦茶な理屈ではないけども、
室町幕府の主な政務に就いていた者は、足利義昭の追放時に義昭に着いていく事が出来なかった事から、義昭が備後国にて亡命政府を持った点をどう評価するべきかが難しい……えー

鞆幕府って言うらしいけどさ……。鞆町に行ってみないと具体的な資料がねえ笑い泣きトオイワ

第一、戦国時代がなくなってしまう❗(笑)
そもそも、伊勢盛時が堀越公方を滅ぼした時を戦国の幕開けとする説があるけども、盛時の出自が最近の研究で、幕府政所の執事をほぼ世襲していた伊勢氏と同じである事が判明したみたいなので、となると今川氏親の母親である北川殿は盛時の姉になる訳で、決して身分の低い素浪人などではないんだから、おまけに足利11代将軍義澄から盛時に堀越を攻めるよう命令もあったようなので、どこの誰かよく分からない者が足利氏を討ったとなれば下剋上と取れるけども、要はそうじゃなかったって事でしょう……びっくり

戦国時代はどこから?(笑)

ってな感じなんでやり直しー(T^T)


自分の頭ん中を整理するのに、意外とブログは使えるのよねニコニコ

誰も読んでくれる内容じゃないけど(笑)