旧約聖書のモーセの律法を読むと、動物や穀物を燔祭として捧げなさいという掟が沢山書かれています。
例えば、レビ記1章(1-9)に以下のように書かれています。
焼き尽くす献げ物
主は臨在の幕屋から、モーセを呼んで仰せになった。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる。奉納者は主に受け入れられるよう、臨在の幕屋の入り口にそれを引いて行き、手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。 奉納者がその牛を主の御前で屠ると、アロンの子らである祭司たちは血を臨在の幕屋の入り口にある祭壇の四つの側面に注ぎかけてささげる。 奉納者が献げ物とする牛の皮をはぎ、その体を各部に分割すると、 祭司アロンの子らは祭壇に薪を整えて並べ、火をつけてから、 分割した各部を、頭と脂肪と共に祭壇の燃えている薪の上に置く。 奉納者が内臓と四肢を水で洗うと、祭司はその全部を祭壇で燃やして煙にする。これが焼き尽くす献げ物であり、燃やして主にささげる宥めの香りである。
旧約聖書では、アダムとエバが堕落したことによって、人類が万物よりも汚れてしまい、万物以下の存在へと成り下がってしまっていたので、人が神様の前に出て礼拝する際には、人間よりも清い動物を捧げなければなりませんでした。
しかし、イエスが神様の前でしっかりと条件を立て、万物よりも清い存在へと成長できるようになったため、礼拝を捧げる際にも、わざわざ動物や穀物などを捧げる必要がなくなりました。
それと同時に、イエスの教えを聞き従った人たちも、神様に万物を捧げる必要はなくなりました。
新約聖書のローマの信徒への手紙12章には、以下のように書かれています。
キリストにおける新しい生活
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
普段住んでいる家でも、窓際&ベランダガーデンを楽しんでいます。空気を綺麗にしてくれるというサンスベリア、ローズマリー、ミント、ヒマワリ、バジル、西洋玉ねぎ、オクラ、モロヘイヤが育っています