妄想族 元気な笑顔で「行ってきます」と言えますか? 今夜もおやすみです
「行ってきま~す

とハッキリ言える時

家は、はじめて帰る場所に
なるんですよ

黙ったまま

そそくさと学校や会社に
出かける時

私たちは自分がどこから来て
どこへ行くのかという

自己意識の基本を失って
しまっているんだよ

通勤電車(札幌では地下鉄)は
私たちを家畜のように扱います

そこでチカンをはたらく
オジさんもいます

こんな非人道的な通勤・通学は

誰ひとり私たちの望む
ところではありません

なのに私たちはこの
混乱による不快を

おしくらまんじゅうをしながら
他人に返そうとしています

しかし、そうではなく

「お互いに大変だね

と公平に思いやる心が
もしあったなら

私たちの気持ちはどんなに
救われることでしょう

押す人も押される人も
被害者なのです

みんなが押しあって電車の中で
いがみあうことで

社会的システムに向かうべき
怒りは

本来なら助けあって
生きねばならない

利用者の不和に置きかえられて
いるのです

似たようなことが、会社内でも
家庭内でもおこっています

大切な人間関係や

家族関係を

損なってまでやらねばならないことなど

本当にあるのでしょうかね
