妄想族 淋しさを飼いならす人 ①
一昨年の夏の終わりでは

なかったと思う

ビルとビルの間に

沈んでゆく

赤く枯れたような

夕陽を見た友人が
「こんな風景、
何だか淋しくなるなぁ」
とつぶやいたことがありました

思わず
「お前でも夕陽を見て
淋しくなることがあるのか

と聞くと

「そりゃあるよ、失礼だなぁ

と友人は少し

憤慨していました

淋しさは、まるで

隙間風のように心に

入り込みます

心の片隅で小さな渦になり

時々そこをすみかとして

しまいマっする

淋しさに心も体も

乗っ取られては困るし

「人はみんな淋しいものだよ

と断言されて

しまいマっする

けれど何故かその感情を

嫌いじぁないんです

幸せや喜びは何となく

想像(妄想)できます

でも淋しさはどうだろう

淋しい人に向かって
「わかるよ」と心から

言ってあげれるだろうか

私にできることは

ただ隣にいて手を握って

あげることぐらいかなぁ

淋しさが嫌いではないのは

その向こう側にある

ささやかなぬくもりの

美しさを知っているからです

一人だけど

決して一人きりではないと

信じているからなのだろう


