妄想族 愛するとは、相手をまるごと受け入れること
友人からアナタの
恋について入れ知恵されて
恋人の言動に不信の念を
抱き始めるということが
ありますよね
「エッアナタの彼(彼女)って
そんなこともしてくれないの」
「ウソォ~そんなこと言うなんて、
彼(彼女)って本当に
アナタのこと好きなの」
等など
そういわれて、
これまではとくに不満も
持たなかったのに
ダンダン不安が生じて
くるといったように
しかし好きな人の言葉が
信じられないとしたら
私たちはいったい誰の言葉を
信じればいいのでしょうか
愛する人よりも
関係の深くない
他人の言葉を信じるのでしょうか
愛する人の言動よりも
雑誌や本に書かれていることや
権威者の言葉が
大切なのでしょうか
私たちは自分自身で
自分のことが信じられないと
誰のことも信じられなく
なるのでしょうか
恋人や家族や大切な人に対して
ひがみっぽく
頑なになるのでは
ないでしょうか
では、自分自身が
信じられないとは
いったいどういうことなのでしょう
それは、自分の存在を
実感する‘核‘となるものが
十分に育っていない
ということなんだよ
簡単にいえば、
自分というものがないんです
自分がないから、
自分が信じるべき自分が
もてないのですよ
自分の行動選択に際し
自分の欲求より先に
他者の目を気にすることが
習慣になっている人は
自分がやることに
特別な意見も見出せず
信頼も置けなくなって
しまうでしょうね
そして、自分が本当に
愛されているか
自信がゆらぎ始めてきます
そうやって愛し
愛されているはずの
相手に対してまで
不信の芽を育てて
自ら不幸に飛び込んでいくなんて
とんでもない悲劇だと
思いませんか
恋人の言動が
信頼できるかどうかは
例え百年考えても正確な
答は出てこないだろう
ならば、
私たちがとるべき態度は
恋人の愛情や誠意を
疑うことではないと思います
アナタが自分のことも
愛する人のことも
信じていないから
不安になるんですよ
「たとえだまされても、
私はアナタを信じる」
この決意がどんなにか
アナタを救うことでしょう
用心して見張りあうことから
親しい関係は決して
成立しませんからね
ただ素直に
愛する人の言葉をそのまま
受け入れることから
始めましょうね