妄想族 「人からどう思われるか」ではなく「自分をどう思うか」です
「自分は人からどう思われているか

というのは

誰でも気になることですが

それを確かめようと始めると

恋人関係であれ
友人関係であれ
人間関係であれ

その関係は必ず壊れます

「自分がどう思われているか

を心配する時

私たちの心は自分の

心配だけに支配されて、
自分勝手になっています

心に浮かぶのは、
自分が傷つかないかどうかだけで

お互いのコミュニケーションを

大切にしようという

考えがありません

私たちは相手の意見に合わせたり

ご機嫌をとろうとしたり

親切なそぶりをしてみせたり

することがあります

しかし、そうすることによって、
いったい何を得られる

というのでしょうか

人間は相手が本当に心を開いて

自分に親切にしてくれているか

それとも嫌われまいとする

恐怖から親切にしているのか

その違いを必ず見抜くものです

恐怖心から親切に

されていることを知ったら

普通の人はかえって嫌な

気持ちになります

自分に形だけの親切を

してくれる人を

受け入れようとするのは

自分にまったく自信のない人か

見栄っ張りな人ぐらいでしょうね

しかしそんな人間関係は

従属的で冷たいものにしかなりません

こう考えてくると

相手に嫌われまいとして

おこなう親切は

なんら得るものがないことが

わかりますよね

そのうえ嫌われまいとして

行動すればするほど

私たちはそうしねければ

すべての人が自分のもとから

去っていってしまう

という不安を高めていくことになり

やがてはその不安が信仰に近い

確信にまで育っていきます

「自分を決して裏切らない

ということを

人と接する時の条件にしていると

私たちはいつも不安に

追われてしまうのでは

ないでしょうか

友人が自分を裏切りないか

いつもいつもチェックしたくなるでしょう

他の人が間に入ってきた時など

友人を奪われはしまいかと

ますます心配になっていくと

思うからですよ

友人を自由にさせるということは

相手を信じている証拠ですから

いったんは離れていった友人も

アナタの態度が自然で

変わらないのを見て

気楽に戻ってくることもあるでしょう

もちろんそうならなくても

私たちが

「去る者は追わず」
の態度でいれば

相手は逃げる必要など

ないわけです

世の中には
「あの人は私から逃げた

よくしてあげたのに

と文句をいう人が多くいますが

人をしばりつけようとする

こと自体が間違っているんですよ

嘘をつく人は嘘をつかせる人がつくり

逃げる人はしばる人が

つくるものだという道理を

私たちは忘れてはならないでしょう

アナタが人をしばらないかぎり

アナタから逃げ出す人は

いないんですよ


