妄想族 命をありがとう
悲しく残酷な

出来事があるたびに

命の大切さを知ろう、
という声があがります

子供たちに

命の大切さを

教えるために

何をしたらいいだろうか

多くの評論家や

ジャーナリストが

同じ議論をくり返します

そのたびに私は

思いマっする

命の大切さは

理屈でわかるものなのか

ペットを飼えば

実感するのか

教室で意見を

出し合ったら

わかり合えるのか

それよりも、
命の大切さを感じるのは

誰かをものすごく

愛した時では

ないでしょうか

もしかしたら明日は

死んでしまうかも

しれません

でも今、この瞬間、
生きているんです

かけがえのないという

奇蹟ともいえる

存在そのものが

命そのものを伝えて

いるのではないだろうか

愛する人を

抱きしめる時

それは命そのものを

抱きしめていることなんですよ

そのぬくもりの中に

その鼓動の中に

その背中の感触の中に

その人の命があります

DAKARA

愛し合うことは

命を感じ合うことですよ

そこには湧き上がるような

感動があります

男と女に限らない

親と子供でも

同じことですよ

友達同士でも

同じことです

命は考えることではなく

感じること

感じ合うことですよ

そして自分も

かけがえのない

存在であることを

深く深く感じていたい

この身体は取り替えが

きかないこと

たったひとつの身体を

持って生まれてきたこと

私たちは、
こんな基本的なことを

案外忘れて生きています

命を宿すこの身体を

大切にしないことは

生まれてきたという

祝福を踏みにじるようなことです

まして相手の身体を

傷つけるなどということは・・・
私たちは時々、
大切なことを

忘れてしまいます

愛するものを抱きしめて

自分を抱きしめて

そして命の奇蹟を

妄想族は感じて

いたいものです


