ちょうど十年前の通夜のとき。


癌で余命宣告を受けた

入院中の前妻(享年43)が

絶食を言い渡されていたのに

空腹に耐えきれず

病院の屋上でパンをかじっていたと

前妻の友人が教えてくれた。


きっと

タバコも吸ってたんだろう。


それを訊き

彼女(前妻)らしいと

その光景を思い浮かべながら

目頭を熱くしたのを覚えている。


思えば

死期を悟った彼女にとって

そんなコトが

一番の幸せだったに違いない。




私が

今の妻にグルテンフリーで

食べたい物、飲みたい物を我慢させているのは妻にとって幸か不幸か考えてみた。


ちなみに

現在までの効果は

私の見解では

便秘の改善だけである。


認知機能改善にも

期待していたけれど

今のところは

妻には効果がないようだ。


たとえば、


妻が余命宣告されたならば

我慢させている一番好きな物を

与えるだろう。


それまでの

我慢によるストレス、未練を抱えたままではなく 

少しでも幸せを感じて欲しいからだ。



妻は

飲食物に関し

言葉では何ひとつ文句は言わないけれどきっと、心のなかでは「あれが食べたい、飲みたい」と叫び続けているんじゃないだろうか。


でも

私が与えないから

グッとガマンするしかない。


それが

ストレスとなり溜まりまくり

その悪影響が認知機能などに

出ているのではないだろうか。


そう考えると

本当に 

このままで良いのだろうか。


明日生きるコトを約束されていない中、今日を最期とし、幸せに生きようと努めるとするならば、普段から与えても良いのではないか、いや、むしろ、与えるべきなのではないのか。

その方が

今より幸せを実感でき

ドーパミンも分泌されるのでは

ないだろうか。


後に

それによる

多少の弊害が生じるとしても

それも覚悟の上ならば

グルテンフリー解除も有りなのかなと

考えている。


人はみな、いつかは死ぬんだし。


妻が

彼女の命をまっとうするため生きようとしているのか、それとも、ただの惰性なのかは、分からない。


それを決めるのは妻であり 

私ではない。


病だとは言え、妻の人生だ。


私は、介助者であり

主役は、あくまでも妻である。


私たちが歩んでいる道は

妻の人生。


グルテンフリーも含め


これから

どう歩んでゆくかは


妻に決めさせた方が良いのかも

知れない。