産後の私の体は順調に回復し、予定通り産後6日目で退院になった。

その日はあいにくの曇り空。
病室からきもちのいい朝日が見たかったな。

土曜日だったので主治医は不在。
最後の荷物チェックをすませたら、看護師さんたちに挨拶しておわり。その時間帯にいたのは、ほとんど話したことのない看護師さんばかりだった。

入院していた病院の先生も看護師さんもみんな優しくてあったかい人ばかりだった。いろんな人の前で泣いたし、話を聞いてもらった。この病院で、この人たちに支えてもらって本当によかったとおもってる。

ただ、私は毎日入院しては退院していく大勢いる患者のひとり。だから数日前に会っていたとしても、その時に泣いてる私を励ましてくれたとしても、次のときに看護師さんが私のことを覚えてるとは限らない。2回目だけどまた「はじめまして」と言われてしまうこともあり、私にとってこの病院に転院してからの2ヶ月は物凄い衝撃的な日々だったけど、看護師さんにとっては、過ぎていくいつもの日常に過ぎないんだなと思うと寂しかった。

そんな中で、1人だけ、私のことをすごく気にかけてくれてるんだなと会うたびに感じる看護師さんがいた。管理入院初日、主治医からお腹の子の病名を告知された時に同席していた方で入院中も時折心配そうに声をかけてくれた。
退院日もちょうどいて、エレベーター前までついてきてくれた。いつも気にかけてくれてありがとうございました。最後に彼女にお礼を伝えることができてよかった。

3年前は、かわいいくまの洋服を着せたちいさな長男を抱いて、これから始まる生活にワクワクしながら退院した。迎えに来てくれた夫も兄も笑顔があふれてた。

今回は私一人きり。子どもはしばらくnicuに入院予定。大きな荷物を一人抱え、土曜日ということもあり、電気もついてない病院玄関を後にする。ふとスマホを見たら、友人から妊娠していてあと数日で出産予定だという連絡が入ってた。なんてタイミング…。ダウン症は女性の年齢により発症確率があがる。私は33歳の時の凍結胚。彼女はいま37か38。でも彼女は健康な子をうむんだな。おめでたいことだけど、なんて返事をすればいいのかわからない……

あーもう、なんなんだ。この状況に悲しみを通り越して少し苛立ちを覚えていたら、兄と母が車で迎えに来てくれていた。ふたりの顔に笑顔はない。少し緊張した表情。あー重たい空気を変えないと。元気なふりして笑いでもとらないと。って思ったら、足取りがさらに重くなった。

でも、車の中に乗りこむと、コロッケの匂いがした。夕飯にと母が買ってきたらしい。ちょっと甘いコロッケの匂いに気持ちがなぜか軽くなった。



妊娠中つくづく思ったこと。それは私には何もできることがないということだった。

私や夫、親戚はお腹の子の予想外の病気発覚を前に精神的に苦しみ、お腹の子本人は病気に肉体的に苦しんだ。みんなが苦しんだ。でもこの事態にできることが私には何もなかった。毎日無理せず、適度に動いて、栄養つける。そんなことしかできないことが辛くてしょうがなかった。

だから、産後はじまった3時間おきの搾乳はどんなに眠くてもがんばれた。特に産後数日の初乳は免疫豊富。体の弱いあの子に私がいまできる数少ないこと。だから眠いなんて言ってられないし、搾乳の痛みなんてどうでもいい。自分にできることがあるんだと思うと、少し前向きになれた。

ただ、ふとした瞬間に気持ちは落ち込んだ。たとえば、入院してる病院はハイリスク妊婦さんばかりで、産後nicuに入る子どもばかり。だから普通にうまれて母子同室してる親子は少なく、ベビーベッドを押して新生児室と自室を移動する人も少ない。
でも、健康に産まれることのできた子はいる。だから、たまにすれ違う。それが辛かった。あの親子は何もないんだなと。私とは違う世界なんだと。

心が不安定になるから、何か考えてしまう余裕がないように産後の入院生活は分刻みでスケジュールをたてた。3時間おきの搾乳は、毎回自分でしぼってから助産師さんにもしぼってもらい、消毒作業などもするから1時間ほどかかる。そこに、時間を少しずらしてnicuでの3時間おきの授乳(子どもはほぼ寝てるから毎回ほぼ飲めないけど…)。nicuでのオムツ替え、自分の食事やお風呂、内診、カウンセラーや各科の先生との面談。のんびり体を休めたいともあまり思わなかったから、常に何かをしていた。

睡眠不足と頻回な搾乳が辛いな、スパルタな生活だなとゲッソリしていた長男出産時の悩みがなんて甘ちょろいかったことか……


でも深夜、ラジオの流れる搾乳室でひとり搾乳してる時、真っ暗な病室でひとり眠る時、誰かに優しく声をかけられた時、ふとした瞬間に涙がでた。

助産師さんから、お豆腐メンタル、って言葉があると聞いた。ふとした瞬間にいとも簡単に崩れるメンタル。まさにそんな状態だった。

でも、子どもの病気のことで苦しい気持ちになるのに、子どもの存在に癒やされた。日々かわいいと思う気持ちが強まっていく、まんまるの輪郭。ちっちゃな鼻と口。

だいじょうぶだよ。
って、この子に対してというより自分に対して言いながら毎日ちいさな頭をなでた。


35週2日
午後は長男の3歳児健診があるため朝採ったホカホカの尿をカバンにいれて妊婦健診へ。いつものようにモニターで心拍を1時間近くぼーっとはかる。するとまさかのお腹張ってる時に心拍低下するとが判明し再入院に! でもせっかくとった尿を提出したいということで、荷物とるために一度帰宅させてとお願い。急いで帰宅し入院荷物をとり、保育園迎えに行き、3歳児健診受け、ばーばに長男を預け病院へ戻る。

夜、出血
常位胎盤早期剥離かもしれない。そしたら緊急帝王切開になるかもしれないと言われヒヤヒヤ!

35週3日
パパを病院に呼び、帝王切開の説明&同意書サイン。また出血するも少量で様子見。

35週4日
早朝に破水疑惑。このあと24時間以内に陣痛くるかも?子宮口3センチになるも陣痛こなく数日後かなと思ってたら夕方からだんだん痛みが強くなる。体力温存しようといったん寝る

35週5日
朝3時に痛みで目覚める。5分間隔の痛みで子宮口が5センチに。まだ冷静だったからお水買いに行ってからLDRに移動。とにかく深く吸ってはいて痛みをやり過ごす。

だんだん痛みが増してきて、突然いきみたくなる。いきみたくなっちゃいましたーって助産師さんに伝えたらすぐに分娩室行きましょうって。え?早くない?と思いつつも移動しようとしたら動けない痛み。どうにか移動したら先生たちがまるでもうお腹から出すみたいな準備を始めてビックリ。え?まだでしょ?と思ったらめちゃくちゃいきみたくなり、でもイキんじゃいけないと「スーハー」と叫びまくる。何かにしがみつきたくて分娩台の手すりを力いっぱい握りしめるとボキッと折れる。スミマセン…

「どうしようどうしよう」と産科の先生のなんとも頼りない言葉が聞こえる。新生児科の先生がまだ来てなくて困ってたっぽい。困っててもそれを妊婦に聞こえるように言っちゃだめでしょーよ…

そのうち、何か詰まった感じが続き、先生が「いっかい押し戻そうか」と話してる。頭?がちょっと出て詰まってたらしい。これがまた痛い。そして力いっぱいふんばると、ついにニュルっと出てきた感覚とともに、おぎゃー!の産声。分娩室に移動してから15分の出来事だった。

初めて見た子どもの顔はかわいかった。いろいろ葛藤した妊娠期間。でも、私かわいいと思えた、かわいいと思えた。よかった。そう何度も心のなかでつぶやいた。

でも、カンガルーケアのために再度私のもとに戻ってきた子どもを見たときは、やはりダウン症の特徴を探してしまった。

耳…おれてない…よかった
目…つり上がってる…
鼻…高さがない…
でも、さっき見たとき、私かわいいと思ったよ。だから大丈夫…

長男のときのように出産したことにただただ感動したかった。でもそんなシンプルな時間にはならなかった。いろんな感情が渦巻いた。

そんな中で、はじめて見たときにかわいいと思ったことは救いであり希望だった。あの気持ち、忘れないでいよう。