ローゼンフェルド「治療の行き詰まりと解釈 精神分析の治療的/反治療的要因」読み中。3年前に買ってずっと難しすぎてわからなかった本ですが、現場に出て図らずも“行き詰まった”今、とても参考になる本となりました。近々、感想文を載せたいと思います。


いたずらした飼い犬を叱ったら、いじけたらしく、そっぽを向いてため息ついて寝てしまったのですが、ひとりになりきれないらしく、そっぽを向きながらこちらにくっついて寝ている(目は開けている)のがかわいすぎます。

なめこタイムDX 4コマ集 なめよん/KADOKAWA/エンターブレイン
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かわいい・・・かわいすぎるっ!!

・・・すみません、それしか言えないです。

(読者さん)「馬鹿なの?」

(小津)「・・・はい。かわいすぎます」

個人的にMVPは、炊飯器でごはん炊いてるなめこの背中、ですねですね。

ぬめぬめふにふにひんやりこな、なめこを抱きしめて眠りたいと、半ば本気で思いつめる日々・・・

「んふんふ」ってゆすられて起こされた日には、うれしさで気絶して仕事に確実に遅刻します、というかもう家にこもるっ!!(やめろ)

え? 一度医療機関で診てもらったほうが?

・・・ありがとうございます。

ちなみに、なめこパラダイス (なめこ公式サイト)で、随時更新中です。

治療的な支持とは、支えどころとずらしどころを適切に捉えて行われる支持である。 (第4章 支持のかたち あれこれ より)

 

飾らず、気取らず、淡々と。けれど、熱く。目の前におらずして、語りかけてくるような1冊でした。

本文中にミルトン・エリクソンのお弟子さん、ザイク先生へのインタビューも収録されており、そういう意味でもお買い得というか、いい本みつけたじゃないか自分、と、自分をよしよししてやりたくなりました。・・・なんの話だ。

 

いわゆる「専門職」なのですが、“こころ”というきわめて不確かで個人的なものにふれさせていただくお仕事なわけで、いつも何かしら、指針や理論をよりどころにして、やっていく。それはそれでもちろん間違いではなくて、むしろそうすべきなのだというのはわかるのですが、一辺倒になってはいけないよ、“理論”は何のためにあるのか、あなたたちにとって“理論”とはなんなのか、考えるのを忘れないでくださいね、と語りかけてもらえたような。

 

収録されている事例はその場の雰囲気、光景まで自然に想像できてしまうほど生き生きとしていて、ひとつひとつは短いのに、一瞬一瞬というか、ひとことひとことのやりとりにエッセンスが凝縮されたような、濃密な事例ばかりです。型破りともいえるし、自然ともいえる。素直に、すごいなあ・・・と思うばかりでした。

紹介文の中で村瀬嘉代子先生が「ミルトン・エリクソンもかくや、とふっと思いました」と書かれているのも納得。私はまだほんの少ししか読んだことがないのですが、たしかに。同じような匂いがします。

 

いわゆる応用編、的なエッセンスもあるのですが、とにかく1冊通して基本を、初めて仕事をしたときの自分、というものを含めた広い意味での“基本”の大切さを語り、そうでありながら、言わずもがな、不文律のような“基本”であるようで、じつはつかみそこねやすい“基本”が随時まっすぐとりあげられた、あるようでなかった(勉強不足なだけでしょうと言われれば、そのとおりなのですが・・・)ちょっとめずらしい味の本。

自然治癒」を全編とおしてまっこうからとりあげられていますが、「専門家」だからこそ、このテーマはしっかりこころに留めおいておくべきテーマなんだろうな・・・と思いました。

自然治癒を底上げする視点。“治療者”であり“専門家”の技量がたとえあっても、だからこそそれはときに気づきにくく、とても大事なところなんだよ、と教えて頂いたという思いが、すごくしています。

 

たしかに治療者は彼らの苦しさや病理を理解し支えることがまず第一であることはいうまでもない。しかし、それとは別の面で、彼らをできるだけ病人扱いしないことにも気をつけたい」 (第2章 青年期治療における医学的治療の周辺への注視 より)

 

かといって、こころがまえだけではなく、いわゆる“連れてこられた”子に対しての、「通院してます療法」(7章 心理療法における治療的変化の場と自然治癒 より)など、「ネーミング!ネーミングセンスがっ!」とか思わせつつ、こころがまえをどう実践するか、どんな言葉をかけるか、どう“介入”したか、まで、1例1例は短いのですが、凝縮した場面を見せてくださるので、すごく豊かな読み物をさせてもらえた感じがいっぱい残ります。自分もがんばらないと、と、気負いではない、ほんの少しの勇気をもらえる本。

 

かつての自分との対話」を幾度も幾度も、真正面から重ね続け、考えつづけてこられた末の今を、ふんだんに提示してくださった、行間に痛みと厳しさをにじませながらも、すごい親切というか、明日につながるやさしさをいただけた気がします。

 

バランスよく仕事していたいといつも思うのですが、ひとつ、ヒントを頂けたなあと思います。

“答え”があるわけではもちろんないですが、自分なりのそれをきっちりもがいてみつけなさいよと、明るい笑顔でそっと叱咤激励してもらえたような、わんわん泣いた後できゅっとこころのひきしまるような、不思議とやさしい読後感でした。

 

自分の立ち位置の整理というのではちょっとずれてしまうのかもですが、若い心理士さんへのエールを全身から送ってくださるような、お勧めの1冊です。

 

服薬がうまくいかない、お薬を飲むこと躊躇する患者さんへの説明など、幅広いことがらがとりあげられていますので、そういう意味ではいろいろな分野の方が読まれて、収穫がある本だとも思います。

すべてわたしがやりました/祥伝社
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嫌になる。嫌になる。嫌になる。 (『あたたかい我が家』より)


「狡くて弱くて何が悪いの?」

「女たちの犯罪小説」というこの短編集、ひとことでいうととにかく「嫌になる」。


それも、主人公と距離を置いて読めても、そうでなくても、なんていうんだろ・・・とにかく逃げ場がない。


表題作、すべてわたしがやりました・・・から始まる、同じ町を舞台にした5話。

 

どれもガラッとちがう話、というわけでもなく、安定して同じようでちがうところをえぐってくるような話の連続。


別にどの主人公にも感情移入するわけでもないけれど、気が付けば読み終わって捨て去ろうとしてもざらっと残る話が多い。というかほとんど。


“自分とはちがう人種”と即思いたくなる人ばっかりなんだけど、どこかで覚えがあるところがあって、だからあとに残るのか?・・・とか思い出すと嫌になるけど、次に、次にと読むしかなくなるという逃げ場のなさ(細かいことはわからないけれど、すごく文章に迫力がある気がする)。


大丈夫、大丈夫。

・・・・・・とは、とても思えない。 (『すべてわたしがやりました』)


いつかこわれるときがくるのかもしれないけれど、できるだけそれが遠い未来であってほしい。 (『あたたかい我が家』)


1,2,3話、そして5話もですが、まもりたいものが自分なりにあるのに、破滅していく方向にしか道を進めないひとは確かにいるんだ、という訴えを絶えず聞いているかのような気分でした。

どうしようもないひとなのかもしれないし、そうでもないかもしれない。どちらにしろ願いはあるけれど、進む先を変えることが、絶望的に、とても難しいひとたちなんだろうと思います。


始末に負えないのは、自分だってどこでどう転んでしまえるか知れたものじゃないということと、そういう見ないふりして過ごしてる不安を予告なしに目の前の皿に盛りつけられたような気分でしばらくいないといけなかったことなのですが・・・なんていうか、かえりにくくて困る・・・。

なんていうか、書いたひともそうとう精神力あるなあと思います。これは、自分だったらほんとに無理。

(と書きつつ、こういうことを書いてくれるひともいるんだなあと、読みながらちょっと思ってしまったりもしたのですが)


ちなみに4話の「運命のストーリー」、これが唯一男性目線での話ですが、

主人公の視点を男性サイドにしないといけないくらい、感情移入というかたちでも近づきたくないタイプのひとでした。。ある意味まっとうなこわさなんですが・・・もうこのひとは最後の最後までこわい・・・。


いやだなあこわいなあと、わざと声に出したくなるような本ですが、なぜか不思議と、読んで後悔はなかったです。