こんにちは
今日も元気なAsunaマンです
今日は言葉に隠された秘密
についてお話ししていきます
私たちは無意識のうちに「信念」を作り上げて、
それをあたかも一般常識のように、
共通認識のように思っていて
過去そうだったように、
未来もそうなると思って生きています
それは本当にそうでしょうか
まあね、
意識していないと、淡々と同じようなことの積み重ねのように
感じてしまうのが、私たちの脳の怠慢ですが
実際どうですか
1年前の今頃、5年前の今頃、10年前の今頃…
実は全くと言って違う状況だったかと思います
同じようだったと思っていても、
日記をつける習慣がある方は振り返ってみていただいたらわかりますが、
マジで違います
これが、
「同じように毎日が繰り返される」
のベースが人によって違いますが、
「うまくいかないベース」で思考していると、
下り坂になっているような人生の歩みを
逆に、
「うまくいくベース」で思考していると、
上り坂のような人生の歩みをします
これは人間の脳の習慣です
反復しながら、大事なことを繰り返し、
そして、繰り返すことは更に大事だと優先順位が上がり、
叶いやすくなる
これが物事のルーティン化であり、
思考は現実化するの背景でもあります
まあ、雑にいうとね
慣れていない事を行うには抵抗があり、
なんでも、最初は上手くできないですし、
やめたくなる
でも、そうやって続けて行った事は、
いつの間にか無意識にでもできるようになり、
自らの「常識」として、つに重ねていくことになり、
それが自我という、「信念」を築き上げていきます
でもね、
今を生きる私たちは、
その「信念」を作る上での材料を操作されているので、
戦後の詰め込み洗脳教育下で、
おてて繋いで、
言うことさえ聞いてればいい子と育った私たちと
戦前教育を受けた、
自らに立ち返り、利他の精神で貢献していく
次の世代のために何が残せるか
を考えることをしてきた世代とは、
人生を決める「信念」を作り上げていく、
材料を与えられる世の中の集合意識から違うというね
「大和撫子」や「おもてなし精神」
って言いますが、
その意味から違った形で伝わっています
私は無宗教ですが、
家系的な引き継ぎで、
DNAに聖書的解釈が染み付いているようで
そっちの方が表現しやすので、
聖書的な解釈でいきますが
聖書は世界にどんだけの数で回っているのでしょうね
そして、宗派である大枠な解釈は定義されているとして、
そこに記載している翻訳から言語次第で違いますし、
そして、その読み解き方が無限かと
中々に信心深すぎる身内を持っていますが
祖父祖母でも、叔父叔母でも、
それぞれに解釈が違いました
宗教的に捉えるか、思想論的に捉えるかでも違いますし、
結果、その人個人が持つ「信念」」次第で、
読み解き方は変わるかと
これをね、
時代の哲学者達は、
書物に答えが書いてあるのではないか
と必死に読み漁り、
そこにはないとわかり首を括った
みたいな話がありますが、
結果、外側に答えを探しても見つからず、
全ては自分の中にある…というね
誰も答えはくれないという
んでね、
もれなく、うちのジジは聖書だけでなく、
いろんな書物を読み、いろんな思想論を学んで、
頭の中は知識はいっぱい
著名人達の思想をわかったつもりでいたけど
死の間際に教えてくれたのは、
本には何も書いていなかったと言うこと
頭でなく、心で学ばなくてはいけなかった
結果、自分を認められずに、
孤独で仕方がなく、神に縋った
外側に赦しを求め続けたそんな私に神は教えてくれた
本当に大切な存在を失うことで気づきを与えてくれた
目の前見ることをせずに、
背中を向けて逃げ続けることが信仰ではなく、
それは、大切な人を傷つけ、失い、
自分自身も深い傷を負うと言うことを
聖書の言葉の意味を、
頭で理解したつもりでいた私は、
その傲慢さゆえに、大切なものを失うこととなり、
そしてまた、そのことで、本当に大切なものを知ることになった
そんなことはどこにも書いてなかった
でも、心が教えてくれた
だそうです
ま、もっと長いのですが
要約してね
聖書ね〜
マジでそのまま読んでも、
ようわからんよね
なんか、客観的にというか、
含みが多い言葉が並んでいるので
しゃあないと言えばしゃあないですが、
思想を継承させない意図もあるので
まあ、そうであっても、
その人の持つ心「信念」がその言葉に意味を持たせる
そう言う感じが見えます
なので、そもそも宗派があるんでしょうし
いい悪い論ではなく、
自分の内側が、何を持っていいと思い、
しっくりくるかと言った感じですね
うちのジジ様のようにね
縋ってるような信仰は私的に意味がわからんので
なんだこの人って思ってましたが
おじさんが色々、飛ばしてきてくれる、
思想的な聖書の紐解きには、
ワクワクするものがあり
近くにいてくれたら、
どっぷり浸かってしまってる自信ありなね
そんな、教えをしてくれる
死の間際のジジ様もそれに通ずるところを
見せてくれましたが
まあ、ブチャけ、宗教はどうでもいいので
思想論として、面白いなと受け止めておきますが
このようにね、
「言葉」と言うのは、
それを使う背景次第で、
意味が天地ほども変わってきます
なので、その言葉の使い方ひとつで、
私たちの内側に秘められている、
表層意識で気づかない「信念」に触れることができます
よく私が使う、
「赦す」の意味についてもそうです
私的には、
人生、生きていく中で様々なことが起こり、
こちらにどんなに悪気がなくても、
他者から見た時には傷つける行動をしてしまうこともある
そして、私たちが生きていくためには、
この瞬間にも、かけがえの無い命を奪っている
それは動植物はしかり、人間であっても、
誰かが何かをしたことで、
生きながらえることのできない命が確実に存在する
生きると言うのは、
生かしていただいていると言う事
様々な恵みと犠牲を一身に受け、生を全うする事でしか、
それらに対して返していく事はできない
無意識にであっても、たくさんの恩恵を受けて生きている私たち
生きていく中で、罪を犯すことはあるかと思います
その罪を認め、受け入れて、今後の糧にしていく
そこに囚われる事なく、先に進んでいく
なので、先に進むために、受け入れ、
それに囚われて動けなくならないように、
手放して先に進んでいきます
幸せを繋いでいくために
的な意味です
ま、これだけじゃ無いけどな
ニュアンスこんな感じ
そして、使い方は、
あくまで、「赦す」「赦します」です
「赦してください」ではなく
言葉は単語だけでなく、言い回しでもニュアンスが変わります
前者は、
自分自身が受け入れて、手放していきます
の、ベクトルが自分に向いている場合
後者は、
赦してほしい 助けて
と、ベクトルが外側に向いている場合です
これ全く意味違うよね
こんな感じで、私たちは無意識に、
言葉の使い方で意味や背景を語ってしまっています
もちろん、言語化していない、
態度や、放つ波長でも示していますが、
その辺は、先にも触れた戦後教育がね、
そのセンサーを曇らせる要因になっているので
最近、自分自身の心にも、
相手の心にも鈍感な人が多い
その辺は、今作り上げてしまっている
「信念」が都合がいいので、そうなっているだけなので
「信念」を作り変えれば、
センサーが働くようになるだけではなく、
自分の生き方自体も、再構築していくことができます
まずは、自覚できていない、
現在の自分の「信念」に気づくことです
言葉の使い方がそのうちのひとつですね
行動心理学でも言われていることですが、
行動の背景の大元が「信念」の部分です
あなたがやることには意味がある
そして、映し出すものにも
全ては繋がっています
ここ数日、この手の質問が多かったので、
ブログに残しました
気づかずに繰り返す言動や行動は、
私たちの「信念」によって行われるものであり、
そして、その「信念」にあう物事が繰り返されます
なんかね、長い時間かけて積み重ねてきたことなので、
中々変わらないように感じますが
物事を広い視点で俯瞰して捉えると、
スコトーマが外れて、
いきなり、90度…180度と、
今までの自分の中の常識が覆されることがあります
そんなことが起こった時に、
その考え方をないものとして、
今までの「信念」を突き通すか
そんなものもあるのか
面白い
と受け入れて、コンフォートゾーンを広げていくか
ここで、今までのように、
無意識に植え付けてきてしまった、
不都合な「信念」を抱えて生き続けるか、
「信念」を再構築して、
これからの人生を自分らしく愉しんで
生きていくかが決まります
よく未来設定が大事と言いますが、
その未来設定は今の延長線上ではなく、
今ある「信念」を打ち破って突き抜けた先のことです
そもそも、現状が都合が悪いんだったら、
基礎工事からやり直さないとね
不都合を基盤に都合がいいものなんてあり得ませんよ
欠陥住宅が出来上がります
なので、土台づくりです
何してる人かわかんない説
不思議ちゃんキャラでいようと思いましたがw
毎回説明するの面倒な私なのでw
自己紹介ページ作りました
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